国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 最新の主張はこちらから

14 日中関係の巻 「反党分子」への干渉で鄧 小平とも仲違い続く

 思想新聞 平成9年(1997年)3月15日号

Q–共産党が中国と仲違いしたのは、文化大革命の際に毛沢東に武装闘争をそそのかされたからでしたね。その中国が文革を否定したのですから、鄧小平とは仲直りしてもいいはずですが。

A–たしかに鄧小平も文革の被害者です。彼が復活した後、中国共産党は81年の六中総会で「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」を採択して、文革を全面否定しました。そのとき、毛沢東について「功績第一、誤り第二」との評価を下しました。その意味で毛沢東が日本共産党に武装闘争をそそのかしたのは「誤り」の一つにあげることができるでしょう。当然、日本共産党もそう考えたのです。中国共産党は85年9月に日本共産党に代表団訪中を求めます。共産党はこれに応じて両党の関係正常化交渉が始まることになります。

Q–85年といえば、ソ連ではゴルバチョフがペレストロイカを本格的に展開し、日ソ両共産党の関係がぎくしゃくしていましたね。それで日本共産党は中国に目を向けたということ?

A–ともかく中国が文革を否定した、言ってみれば毛沢東主義を否定したわけですから、関係正常化の可能性が高いとみたわけです。日中両共産党会談で日本共産党としては、路線が違っていても構わない、とにかく「干渉」を正式に反省し、そして日本国内の「中国追従反党分子」との関係を断ち切ってくれればよい、とまで譲歩します。ところが、中国はいっこうに反省しませんし、「反党分子」との関係を切るとも言いません。業を煮やして日本共産党代表団は帰国、結局のところ、今日まで関係は断絶したままです。

反党分子.jpg (17096 バイト)
共産党系の組織を襲撃する中国系「反党分子」と華僑留学生ら(『日本共産党60年』から)

Q–その反党分子って何ですか、共産党と関係があるのですか。

A–そうです、昭和41年まで日本共産党の幹部だった連中です。その中心人物が西沢隆二という人物で、幹部会委員でした。地方にも拠点をもっており、山口県委員会や神奈川県委員会は中国派の牙城でした。前回述べましたように、宮本議長は毛沢東から武装闘争を勧められ驚いて逃げ帰りますが、その直後、徹底した中国批判を展開しようとします。これに反対して中国の文革路線を支持したのが、西沢氏らです。結局、除名されてしまい、別の組織を作ります。それが「反党分子」というわけです。

Q–そう言えば、日本共産党(左派)」といったビラをときどき見かけましたね。この組織と中国共産党は関係をもってきたのですね。

A–その通りです。山口県委員会や神奈川県委員会はいわば組織ごと共産党から離れ「左派」にいってしまいます。それを中国が支援してきました。天津甘栗の利権まで与えたと言われているほど、関係が深いのです。この「反党分子」は反共産党キャンペーンをやるわけですから、共産党としては関係正常化の条件にせざるを得ません。「反党分子」の支援こそ「干渉」ということになるからです。

Q–中国はこの関係を切らなかったのですね。田中元首相への義理堅さだけでなく、中国派の連中に対しても義理堅かったと言うわけですね。

A–そうです。とまれ鄧小平との仲は改善されなかったわけです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました