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国旗国歌訴訟 左翼教員の不法容認する呆れた判決

この記事は2011年3月11日に投稿されました。入学式や卒業式での国旗国歌への起立・斉唱を義務づけた東京都教育委員会の通達に従わず懲戒処分を受けた都立学校の教職員167人が処分取り消しを求めた訴訟で東京高裁は3月10日、請求を退けた一審・東京地裁判決を変更し、全員の処分を取り消す逆転判決を言い渡した(各紙3月11日付参照)。これは容認できない偏向判決と言わざるを得ない。判決は通達を合憲として違法性がないとしながら、処分は懲戒権の乱用とする。これは矛盾する判断である。通達が適切なら、なぜそれを破った行為に対する処分を違法とするのか、理解しがたい。こうした判決がまかり通ると左翼教師が全国で闊歩しかねない。東京都教委は直ちに上告し、最高裁で判決を引っくり返さねばならない。

起立・斉唱通達の合憲は最高裁判決で確定のはずだ

国旗国歌訴訟の争点は2つである。それは①入学式や卒業式での国旗国歌への起立・斉唱を義務づけた通達が合憲・適法か、②通達に従わなかった教員を懲戒処分としたのは適切か、ということである。これに対して今回の判決はどのような判断を示しただろうか。大橋寛明裁判長は、①については「広く承認された儀礼であり、違法ということはできない」「教員らの歴史観や信条を否定し、皇国思想や軍国主義を肯定するものではない」とし、教員の立場を「全体の奉仕者」であると認め、「教職員は上司の命令に従う立場にあり、一定の制約を受けることはやむを得ない。個人的な思想や良心とは関係なく、他の教員とともに起立・斉唱する行動が求められている」と述べ、さらに「旧教育基本法が禁じた『不当な支配』にも該当しない」と断言、教職員らの行動は「都教委の教育現場への介入を過剰なものと決めつけて抵抗するという面を有する」とまで言い切り、通達やそれに基づく職務命令は適法で思想・良心の自由を侵害しないとの判断を示した。
 以上の①についての判断は正しいものである。すでに2007年2月の最高裁判決で合憲が確定しているからである。同訴訟は東京都日野市立小学校の女性音楽教諭が起こしていたもので、入学式で「君が代はアジア侵略とむすびつく」として君が代のピアノ伴奏を拒否して都教委から戒告処分を受けたため「校長の職務命令(伴奏指示)は憲法が保障する思想・良心の自由を侵害する」と訴えた。これに対して最高裁は伴奏命令について「特定の思想を持つことを強制したり、児童に一方的な思想や理念を教え込むことを強制したりするものではない」として思想・良心の自由の侵害を認めず合憲との判決を下した。またピアノ伴奏で国歌斉唱を行なうのは学習指導要領などの趣旨にも合致しているとし、校長の職務命令はきわめて合理的との判断も示した。今回の高裁判決はこれを踏襲しており、まったく異論はない。

違反を「戒める」ことを懲戒権乱用とする陳腐な判決

ところが②の通達違反を理由に戒告などの懲戒処分まで科す妥当性については今回、驚くような判断を示した。すなわち、「教員らの行動は職務怠慢ではなく、信念に基づいた真摯(しんし)な動機によるものだった」「国旗国歌と皇国史観を結びつける国民は少なからず存在し、教員らも立場を離れた一個人としては起立義務はない」「起立しなくても式典は混乱しなかった」などの理由を挙げ、「懲戒処分まで科すのは社会観念上重すぎる。懲戒権の乱用だ」としたのである。これは①の判断とは矛盾する理解しがたい見解である。
 懲戒処分とは言うまでもなく刑事罰ではなく、職務上の処分である。通達が合憲・適法であるなら、それに違反した行為について職務上の処分を行うのは当然のことである。処分をしないのは職務違反を容認することになり、通達の意味がなくなり、職場の秩序が守れない。都教委の担当者が「この判決で、法令や上司の命令に反しても処分されないという風潮が広まれば、学校運営が大混乱する恐れがある」(読売新聞3月11日付)と危惧するのは当然だろう。判決は「教員らの行動は職務怠慢ではなく、信念に基づいた真摯な動機」とするが、通達はそういう内面の心情を問うているのではない(これを問えばそれこそ違憲だ、最高裁判決もこのことを明確に示している)。そうではなく公務員としての「行い」を問うているのである。判決が前段で通達が「教員らの歴史観や信条を否定し、皇国思想や軍国主義を肯定するものではない」とし、「教職員は上司の命令に従う立場にあり、一定の制約を受けることはやむを得ない」したばかりか、「個人的な思想や良心とは関係なく、他の教員とともに起立・斉唱する行動が求められている」としながら、後段ではそれとは全く逆に信念に基づいた真摯な動機に基づく行動なら職務怠慢に該当しないとしたのは、支離滅裂な論理というほかない。こういう論理が認められるなら、そこら中で職務怠慢が生じ「全体の奉仕者」としての公務員の使命は果たせない。ゆえに偏向判決と断じざるを得ないのである。

裁判長は左翼イデオロギーに偏した「赤い裁判官」か

どうも裁判長は懲戒処分の実態を知らず机上の空論を振りかざしているようだ。今回の懲戒処分を受けた都立学校の教職員167人の懲戒処分とは何か、それは懲戒処分で一番軽い「戒告」にすぎない。公務員の懲戒処分は①免職②停職③減給④戒告があり、このうち戒告は「職員の非違(法から外れる)行為の責任を確認し、その将来を戒める」という処分で、要するに上司に呼び出されて直接、お叱りを受ける、説諭されるということである。もちろん戒告処分を受けるとその後の昇給などに影響するが、処分としてはきわめて軽い。戒告より軽い処分がないのだから、戒告さえ行わないとするなら、もはや通達はなきに等しい状態に追いやられる。にもかかわらず「懲戒処分まで科すのは社会観念上重すぎる。懲戒権の乱用だ」というのは、馬鹿げた論理だ。戒告は社会観念上、けっして重いものではなく、これをもって「懲戒権の乱用」とするなら、公立学校のみならず公務員の職場は無法地帯に化してしまうだろう。
 もし裁判長がそのことを百も承知で、今回の理不尽な判決を下したとするなら、左翼イデオロギーに偏した「赤い裁判官」と断じざるを得ない。通達を合憲・適法とする最高裁判決に従うふりをしつつ、本音を後段で露見させているのではないか。国旗国歌への起立・斉唱拒否を「信念に基づいた真摯な動機」とし、「国旗国歌と皇国史観を結びつける国民は少なからず存在」するといった見解がそのことを端的に物語っている。「少なからず」とは多いという意味だが、これは事実に反する。大半の国民は皇国史観と結びつけず、日本の国旗国歌と明確に認識している。

偏向判決を盾にした左翼教員の学校乗っ取りを許すな

裁判長は「起立しなくても式典は混乱しなかった」とするが、これも左翼教員の言い分を鵜呑みにしている。式典を混乱しないように校長や良識教員がどれほど努力しているのか、認識不足もはなはだしい。2006年に東京地裁が「強制は違憲」の偏向判決を下すと、それに意を強くした左翼教組が全国で国旗国歌反対闘争を強め、学校現場は秩序維持に追われた。北海道では卒業式の国歌斉唱を妨害し戒告処分を受けた教諭が道人事委に処分撤回を訴え、同委はこの東京地裁判決を受けて「懲戒処分の乱用に当たる」として処分を取り消したため、北海道の教育界は北教組支配が一段と強まった(それが民主党議員の違法選挙事件を生み出したのだ!)。今回の高裁判決もそうした反対闘争強化に使われる。我々は偏向判決を断じて容認しない。

2011年3月11日

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