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File-54 顔なき観念としての「人民」

批判者を「人間扱い」しない共産主義の本質

思想新聞2002年4月15日 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 8

無神論ヒューマニズムの精華

「人民」を神に頂く遠人愛の思想

Q 北朝鮮の「ウリ式人権」の問題点と人権理念の相対性についてですが…。

 先に「人権理念がきわめて相対的で曖昧な概念だ」と言ったのは、「自決権」すなわち「人民の決定権」という表現に、からくりがあるからです。どういうことかと言いますと、北朝鮮に限らず、極左過激派をはじめとして共産主義者は、「人民」とくに「プロレタリアート」が「主権者」としてまず第一に掲げられます。ここで注意しなければならないのは、その「人民」とは具体的な個々の労働者を指してはいないということです。つまるところ、「人民」という名の「無色透明な観念」とでも言えるでしょうか。「神は死んだ」という言葉で有名な哲学者ニーチェの主著『ツァラトゥストラはかく語りき』の中に出てくる「遠人思想」がそれです。
 この「遠人思想」とは何かというと、イエス・キリストが「汝の隣人を愛せよ」と説いたのに対して、むしろ「近きより遠きを愛せ」と主人公のツァラトゥストラに語らせました。これは多くのドストエフスキー研究者も指摘しているように、「無神論的ヒューマニズム」の精華だと見なせるのです。このような観念の中の「人民」を祭りあげたいわば「人神論」こそ、ファシズム・ナチズム・スターリニズムという名の「全体主義」に通底しているものです。
 そう言えば、外相更迭後今度は秘書給与疑惑で渦中の人となっている田中真紀子議員の外務省幹部に対して言ったという「人間には三種類ある。家族と使用人と敵だ」発言が一部で話題になりました。この発言の信憑性はともかく、内容には驚かされました。ところが、これと同様な人間の「区分」が、北朝鮮の国家には存在しています。
 先の申一澈・韓国高麗大名誉教授の報告でもこのことについて触れています。北朝鮮の1972年憲法によれば「階級的対立と人間による人間の全ての搾取と逼迫が永遠になくなった」と記されているのですが、実際には細かく出身身分、忠誠度、いわゆる「党性」などを評価基準とする「人類の分類」がなされているというのです。細かくは六十四分類と言われますが、これを大きく「核心階層」(いわゆるノーメンクラツーラ)「動揺階層」(一般大衆)「敵対階層」(反体制)という3つの階層に分けられています。申教授はこのうち「核心階層」は一%にすぎないと見ており、アジア監視委員会とミネソタ弁護士国際人権委員会の北朝鮮の人権に関する報告書(1988)も忠誠度による「三階層分類の階級制度」を告発しているのです。

共産主義者に通底する「宿命」

 つまり、北朝鮮という国家にとっては「反体制分子」は「人民」ではありえないのです。つまりナチズム下のユダヤ人のように「犯罪者」扱いされ「人間」として扱われなくなってしまうのです。このように、全体主義においてはおよそ「人権」は意味をなさないことになります。
 こうした思想は現実の体制のみならず、共産主義者一般に共通しているものです。
 例えば、1972年の連合赤軍事件からちょうど30年経ちました。「あさま山荘事件」で警官二人を殉職させた連合赤軍は、おぞましい大量リンチ殺人を犯していました。仲間をなぶり殺した動機は、「革命的主体」を確立できなかったがゆえの敗北死と位置づけ、何ら罪意識は生じませんでした。しかも彼らにとって人命よりも守るべきは銃という「銃=神」とする思想でした。中東で無差別殺人を起こした日本赤軍も、よど号ハイジャック犯グループも、そしてリンチ殺人を犯した宮本顕治名誉議長を頂いていた日本共産党も、少なからず、内部からの批判を許さない粛清・リンチ・査問というプロセスを経ており、共産主義の呪縛から免れることはできませんでした。ですから、共産主義者がプロレタリア独裁と階級闘争を改めない限り、そして「哲学的党派性」を捨てない限り、世界人権宣言にうたう普遍的な「人権」を云々することは、まことに片腹いたいと言えるでしょう。要するに、彼らの言動は「方便」にすぎないことを看破しなければなりません。

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