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東京高裁「国旗国歌」合憲判決は当たり前だ

この記事は2011年1月29日に投稿されました。

世界の国は例外なく、国家を象徴する国旗と国歌をもっている。それは独立の象徴であり、その国のすべての国民の象徴でもある。それで、お互いに国旗と国歌に敬意を払い、尊重し合う。オリンピックで勝者を称える際、国旗を掲揚し、国歌を演奏するのは、国旗・国歌がその栄誉をもっとも体現しているからである。これは国際社会の常識である。だから、国旗に向かって起立し、国歌斉唱を求めるのはきわめて自然なことで、世界のいずれの国でも公教育の場で行っている。それを通じて子供たちがお互いの一体感を強め、敬愛し合い、社会や国のために生きようとする精神を培い、「良き国民」に成長するからである。そして、自国を愛するがゆえに他国も尊重するようになり、国際協調の精神も育まれる。こういう常識的な見方に立てば、東京高裁が1月28日、入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し、国歌斉唱する東京都教育委員会の通達を合憲とする判決を下したのは、実に当たり前の話である。判決は「通達は、思想・良心の自由を定めた憲法に違反しない」とし、通達などを違憲とした上で教職員に起立や国歌斉唱の義務はないとした1審・東京地裁判決を取り消し、原告側の請求を退けた。こんな馬鹿げた訴訟が平然と起こされているのは、国旗国歌を教育現場から抹殺しようとする左翼教師が徘徊しているからだ。いまだ、わが国は共産主義勢力が根を張っているのだ。このことを直視しておかねばならない。

国旗国歌を阻む服務違反の教職員を懲戒処分に

今回の「日の丸・君が代」訴訟なるものはなぜ起こったのか。それは都教委が2003年10月、都立学校の各校長に対し、式典での国旗掲揚や国歌斉唱を適正に行い、校長の職務命令に従わない教職員は服務上の責任を問うとする通達を出したことに始まる。この通達は日本の公立校としては当然のことで、何らやましいものではない。それ以降、都教委は違反回数に応じて減給や停職などの懲戒処分を行ってきた。これに対して都立学校の教職員ら395人が都を相手取り、通達は違憲だから通達に従う義務がないとして、処分や減給などへの損害賠償などを求めて訴訟を起こした。1審の東京地裁で都側は「通達に基づく職務命令は、教職員の内心まで制約するものではない」と主張したものの、東京地裁は2006年9月、「懲戒処分まですることは思想・良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だ」とし、1人3万円の慰謝料を含めて請求を認めた。それで都側が不服として控訴、東京高裁で争われた結果、都側が勝訴したわけである。
 それにしても1審判決は呆れた偏向判決というほかなかった。何よりも奇異だったのは、国旗・国歌に対する認識である。難波孝一裁判長は「日の丸・君が代は第2次大戦終了まで、皇国・軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあり、現在でも国民の間で中立的なものと認められるまでに至っていない」と述べた。信じがたい認識である。日の丸と君が代があったから戦争が起こったわけではない。それを皇国・軍国主義思想と結びつけるのは、こじつけ以外の何ものでもない。それにどの世論調査を見ても、国民は国旗・国歌と認めている。1999年に制定された国旗・国歌法で、日の丸・君が代が国旗・国歌と明記されている。それを法に携わる教員(公務員だ!)が否定するとは、いったい順法精神はどうなったのか、疑わざるを得ない。こんな裁判官がいることを肝に銘じておこう。
 すでに今日の視点(1月28日付)で論じたように、国旗・国歌法が制定されたのは、一部イデオロギー集団が日の丸・君が代を否定し、広島県で校長自殺事件が起こるなど教育現場に混乱がもたらされたからである。同法が論議された国会で、小渕首相(当時)は「(公教育は)学校指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導する責務を負っており、学校での国旗・国歌の指導は国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけるために行なわれるもの」と明確に答弁している。学習指導要領には教師の指導義務がうたわれており、都教委はこれに基づいて国旗掲揚や国歌斉唱時の起立などを求めた通達を出し、それに違反した教職員を処分したにすぎない。にもかかわらず1審判決は通達違反を理由にした処分も禁じた。これでは学校の規律も公教育も成り立たない。おまけに難波裁判長は「原告の教職員は義務がないのに起立や斉唱を強要され、精神的損害を受けた」として、都に慰謝料の支払いまで命じた。理解しがたい判断だった。学習指導要領に明記されている教師の指導義務をまったく無視し、そのうえ通達に違反したものに慰謝料を払えというのだ。これでは盗人に追銭のような判決である。この判決に対して石原都知事は「控訴して戦う」として、戦いは東京高裁に移った。このような偏向判決を放置しておけば、国旗・国歌にとどまらず、愛国心教育も否定され、公教育が一部イデオロギー集団の「不当な支配」に屈することになるからである。

日教組など左翼教組は徹底糾弾されるべきだ

日教組をはじめとする左翼教組の「反日の丸・君が代闘争」は目にあまるものがある。左翼教組は「『君が代』は主権在民の憲法原理と教育基本法の民主的教育理念を否定するもの」(日教組1975年度定期大会・統一見解)などとして、これまで全国で組織的な「日の丸・君が代反対闘争」を引き起こしてきた。06年の東京地裁の「強制は違憲」の偏向判決に意を強くして反対闘争を一層強めていた。北海道では卒業式の国歌斉唱を妨害し訓告処分を受けた教諭が道人事委に処分撤回を訴え、同委はこの東京地裁判決を受けて「懲戒処分の乱用に当たる」として処分を取り消してしまったほどだ(北海道の教育界は北教組に牛耳られてきた)。
 だが、この問題はすでに決着がついている。2007年2月の最高裁判決で合憲が確定しているからである。この裁判は東京都日野市立小学校の女性音楽教諭が起こしていたもので、入学式で「君が代はアジア侵略とむすびつく」として君が代のピアノ伴奏を拒否して都教委から戒告処分を受けたため「校長の職務命令(伴奏指示)は憲法が保障する思想・良心の自由を侵害する」と、処分の取り消しを求めた。これに対して最高裁は07年2月27日、伴奏命令について「特定の思想を持つことを強制したり、児童に一方的な思想や理念を教え込むことを強制したりするものではない」として思想・良心の自由の侵害を認めず合憲との判決を下した。またピアノ伴奏で国歌斉唱を行なうのは学習指導要領などの趣旨にも合致しているとし、校長の職務命令はきわめて合理的との判断も示した。これで音楽教諭の全面敗訴が決まったのである。
 最高裁判決が言うように、公務員は全体の奉仕者であり職務に忠実に従わなければならない。こうした職務違反を許せば、学校の秩序が維持できず、学校運営に支障をきたらす。それでも音楽教諭が君が代は「アジア侵略とむすびつく」という信念を貫きたいなら公務員を辞し、活動家にでもなればよい。最高裁判決は、「思想・良心の自由」の侵害とする基準として①思想の強要(国が特定の思想を持つことを命じる)②告白の強要(踏み絵など内心を強制的に表明させる)の2点を示している。国旗掲揚・国歌斉唱に対する、音楽伴奏などの職務命令はこうした強要に当たらない。わかりきった話である。今回の東京高裁判決はこれを踏襲したもので、当然の判断を示したと言える。この種の裁判闘争はもう終わりにしなければならない。我々は左翼教組を指弾する。

2011年1月29日

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