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2 情勢観の巻 現在を70年代に見たて 「躍進」を夢見る共産党

 思想新聞 平成8年(1996年)10月25日号

  • Q–共産党は今の情勢をどう見ているのですか?

    –不破委員長は「今日の情勢は、日本共産党の躍進の大きな可能性をはらんでいる点で、70年代前半の躍進の時期に匹敵するものがあります」と述べています。
  • Q–70年代前半の情勢ということを具体的に。

    –社会党との統一戦線により共産党が与党の「革新自治体」が、全国に拡大したことを指しています。当時「首長選では東京、大阪、神奈川の三知事選をはじめ、37首長選で勝利し、日本共産党を与党とする革新自治体は205団体、人口4千682万人、日本総人口の42.7%にひろがった」(『日本共産党の70年』共産党中央委員会)のでした。
     今の共産党は「夢よもう一度」と考えているわけです。
  • Q–でも、今日ではその「革新自治体」というものがあまり見られませんが。

    –70年代後半には「革新自治体」は、ほとんどつぶれてしまいました。不破委員長は、「70年代前半の躍進は、『戦後第二の反動攻勢』といわれたその後の反共・反革新の大攻勢によって中断させられ」たと述べています。
  • Q–「戦後第二の反動攻勢」とはなんですか?

    –次の4点があげられます。

     1.立花 隆氏が、共産党の「暴力革命と独裁的」体質や、宮本顕治委員長(当時)の<リンチ殺人事件>を明らかにした『日本共産党の研究』を雑誌(『文芸春秋』76年1月号)に発表したこと。

     2.戦前からの宮本の同志・袴田里見前副委員長が、宮本批判の論文(『週刊新潮』78年1月12日号)を発表したこと。

     3.社会党が共産党との統一戦線を重視する路線から、公明党との共闘路線の重視に転換し、決別したこと。

     4.決定的だったのが、78年3月に行われた京都府知事選で、国際勝共連合などの反共・勝共勢力によって、共産党推薦候補が敗北したことです。以後、全国の『革新自治体』は総崩れとなったわけです。
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1978年の京都府知事選にて。勝共運動などにより共産陣営は惨敗した。

  • Q–あっけないものですね。その原因は何ですか?

    –「革新自治体」は、社会党や文化人を表面に立てる「統一戦線戦術」によって、有権者の共産党アレルギーをやわらげることで成り立っていたからです。それが、共産党の正体が暴露され、社会党や文化人との統一戦線が崩れ、一挙に「革新自治体」は終焉したのです。
  • Q–その後、共産党はどうしたのですか?

    –81年の5月に「平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会」を結成し、社会党の左派や左翼文化人に働きかけてきました。特に、3年前に社会党も参加した細川政権ができてからは、社会党内の20%~30%と目される左派グループを取りこもうとして、非公然の「社会党対策特別委員会(責任者・上田耕一郎副委員長)」を設置して工作してきたといわれます。
  • Q–それで、その成果は上っているのですか?

    –いいえ。逆に社会党左派の村山首相が、自民党に担がれて首相にまでなってしまう。今までの「日米安保反対」「日の丸・君が代反対」といった路線を転換する。左派の強かった官公労までもが、社会党の路線転換を支持。自民党や政府と対話しようとするようになってしまいました。
  • Q–共産党は今後どうするのでしょうか?

    –それは共産党が最近「無党派層との共同戦線」を強調しだした理由を分析することによって明らかです。

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