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File-10 党派性を本質とする共産主義的唯物論

思想新聞 2000年4月25日 5月5日 合併号

シリーズ Q&A 共産主義は間違っている!!

その排他性と独善性の本質

本質にあるのは「哲学の党派性」

美徳を「大資本愛好の哲学」と決めつける

Q 共産党はよく「大資本の愛好の哲学」とか「国家権力に奉仕する哲学」などという表現をつかいます。どうして、多くの思想・哲学を、それもいとも簡単に、種分けし断罪するのでしょうか。

露骨な反松下・反資本主義の浅薄さ

 従来の哲学・思想を、党派性の名の元で種分け断罪することは、共産主義的唯物論の特徴のひとつです。例をあげれば、こんな具合です。
「自民党政府によってかつて日本の教育のとるべき基本方向としてしめされた『期待される人間像』はつぎのように説いています。《幸福な人間となるためには、経済的、政治的な条件が整えられる必要があることはもとよりである。しかしそれよりもいっそう大切なのは心構えであり、心の持ち方である。そして、それは感謝と畏敬の念である。不平不満の種はいろいろとあろう。しかし、耐えず不平不満だけを感じる人ほど不幸な人はいない》(中央教育審議会答申)。また、膨大な発行部数を持つ雑誌『PHP』も、手をかえ品をかえながら《人間は、ものの見方ひとつで、どんなことにも耐えることができる。どんなつらいことでも辛抱できる。のみならず、いやなことでも明るくすることができるし、つらいことでも楽しいものにすることができる》(松下幸之助)といった主張を繰り返しています。《すべてものごとには運というものがございます》というのもまた、『PHP』が好んで繰り返す《松下哲学》の基本箇条ですし、いわゆる根性論、猛烈社員特訓のガンバリズムなど、これまた大資本愛好の《哲学》であり、大資本によって広く流通させられているものです」(新・働くものの学習基礎講座 哲学 学習の友社)

松下幸之助
「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助(1894~1989)は、共産主義の敵と見なされたが、「水道哲学」を説く思想家でもあった。

哲学は階級の利益に奉仕する?

 感謝の念や畏敬の念、辛抱や忍耐の重要性の主張を「大資本愛好の哲学」と簡単に言い切る独善性と非科学性にはあきれるばかりですが、このような主張を「哲学の党派性」といい、共産主義的唯物論の重要な特徴となっているのです。
 レーニンは次のように述べています。「マルクスとエンゲルスは、哲学において終始党派的であり、ありとあらゆる最新の傾向のうちに、唯物論からの逸脱と観念論および信仰主義に対する寛容とを、暴きだすことができた」(「唯物論と経験批判論」)
 さらに共産主義者モーリス・コンフォースは『唯物論と弁証法』のなかで、古代ギリシャ時代のアリストテレスの哲学は、奴隷制度は本来、天から命ぜられたものであるとして主張して、支配階級の利益のために奉仕したのであり、中世のトマス・アクィナスの哲学は、宇宙は封建的なヒエラルキーをなしているとして、法王および国王の支配を合理化したのであり、また近代の機械的唯物論は、世界が独立の諸原子から成り立っているように、資本主義社会において、対等の人間原子である労働者と資本化が自由契約によって結ばれていると主張して、資本主義社会を合理化したと述べました。
 このように共産主義は、哲学はすべて、必ずある階級の利益に奉仕する、すなわち党派性を持つと主張します。これはきわめて作為に満ちた意図的な主張であり、哲学の本質をとらえたものでは断じてありません。哲学はなによりもその真理性において判断されるべきであり、第一に問われるべきことなのです。一階級にどれほど奉仕したかは第二、第三の問題なのです。

アリストテレスやトマスの時代的真理性

 ただ、マルクス主義だけは、初めから党派的な思想体系であったといえるでしょう。それは結局、労働者の資本家に対する階級闘争を合理化するための、戦略的に体系づけられた思想として出現したからにほかなりません。
 人間は歴史を通じて一歩一歩前進しながら、絶対的な真理を探求しつづけてきました。その結果、歴史の発展に伴ってより低い真理性の思想体系は、より真理性の高い思想体系に席を譲りつづけてきたのです。しかしながら、より古い時代の思想は、より新しい時代の新しい思想にとって代わられたとしても、一時代や一地域において、それぞれ必要な貢献をしてきたのです。
 アリストテレスが奴隷制度を擁護したのは、アリストテレスの政治思想が、当時のポリス社会という特殊事情を基盤としていたという点で時代的真理にとどまっていたからであり、それによってアリストテレスの思想全体が党派性を持っているとはいえないのです。
 トマス・アクィナスの思想についていえば、それは絶対的な神を中心とした思想であって、たとえ時代的制約性はあったとしても、時代と地域を超えて、その体系中の多くの部分は真理性を持ちつづけてきたのであり、キリスト教が存続する限りこれからも持ちつづけることでしょう。

本来は非党派的な思想を歪曲

思想は、本来は非党派的ですが、時の主権者たちが、彼らの権力維持のためにその思想を利用することがしばしばありました。そのためにある思想は初めから党派性を持っているように見えたのです。しかしそれは思想の本質ではなかったのです。
 繰り返しますが、共産主義思想は例外です。「プロレタリアート(労働者階級)による人間解放」という目的を実現するための、「解釈」ではなく「変革」のための哲学が共産主義なのですから、はじめから党派性(労働者階級の利益に奉仕)を本質としたのです。

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