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「勝共の火」我らが受け継ぐ

久保木修己先生  お別れ会・詳報

●開会あいさつ

共産主義から日本を守る

青山学院大名誉教授 入江通雅氏

 お別れ会にあたりまして、私の気持ちを久保木修己さんに捧げたいと思います。久保木さんは1968年国際勝共連合を設立、共産主義の迷妄から自由・民主の国家・日本を守る強力な国民運動を全国的に展開されました。当時、共産主義は一時挫折を味わっていたとはいえ、60年以降のベトナム反戦、さらに70年安保を経て、大学やマスコミを拠点に再び日本における脅威を増大させつつありました。
 そうしたなか、「共産主義は間違っている」という真理を説くのは勇気のいることでした。自由・民主の先進国であるにもかかわらず、大学やマスコミが共産主義に支配されている日本にとって、必要且つ効果的な国家への政治的貢献であったことは、自民党、民社党などの政治家もよく認識していたように思います。
 国際勝共連合の名の下に、多数の献身的で誠実・有能な青年男女を集め得て、組織、活動させた久保木さんの功績は誠に重大であります。国際共産主義の総本山、ソ連は既に崩壊消滅し、共産主義の脅威が減衰したことは喜ばしいことです。
 しかし、日本の隣国の中国や北朝鮮はいまだに共産党一党独裁制の共産主義国です。日本では化粧上手になった共産党が、このところ着実に当選を拡大しつつあります。こう見ると、民主・自由の日本を共産勢力から守る勝共運動はこれからも、否、これからますます必要になります。
 日本の自由・民主は、今日まで共産主義から守られました。それには、久保木さん、あなたの指導下の勝共連合の貢献もあずかって力あったと私は確信しております。それならばこそ、流動期にあり、共産党が伸びつつある今、あなたを失ったことはかえすがえすも残念でなりません。
 しかし、偉大なあなたが切り開き、残した道を、あなたのお弟子さんたちが日本のため、世界のため、神のために志士として、勇気を持って歩み続けることを私は信じて疑いません。今は安らかにおやすみ下さい。

●経歴紹介

国際勝共連合前婦人局長 江利川安栄氏

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 久保木修己先生は、昭和6年(1931)年2月3日、中国丹東市(旧満州安東市)に誕生されました。銀行員であられた父君の御転勤とともに満州各地、北京で幼少時代を過ごし、敗戦によって内地へ引き上げ、13歳にして初めて故国、日本の土を踏まれました。中国大陸での中国人、韓国人など民族の違いを超えた数多くの友人との親交、そして帰国して初めて目にした「美しい祖国日本」が、アジア的視野で日本を愛し続けられた久保木先生の原点となりました。
 慶応中等部から慶応高校に御進学、同高校時代には野球部に属し、二度にわたって甲子園に出場されました。慶応大学時代には荒れる日本の世情に心を痛め、立正佼成会に入会されました。立正佼成会では青年部長、会長秘書として活躍されました。
 昭和37年に統一原理と劇的に出会われ、世界基督教統一神霊協会に入会され、昭和39年に会長に就任されました。その後、神を愛し世界を憂う久保木修己会長を慕って数多くの学生、青年達が集いました。
 共産主義勢力が国の内外で荒れ狂っていた昭和43年4月、このままでは国が滅びると、国際勝共連合を日本において創設し、会長に就任されました。「共産主義は間違っている」との信念から、久保木先生は日本共産党に対して公開理論戦を挑むなど、全国各地の大学や街頭で勝共運動を指導されました。このような活動は、国の将来を憂う岸信介元総理をはじめ、わが国各界の有識者から「勝共の若き指導者」として高い評価を受けるに至りました。
 さらにベトナム戦争の激化にともない、アジアの平和と安全を憂い、世界歴訪の途上、アジア各国の指導者を訪ね、当時の朴正煕韓国大統領、蒋介石中華民国総統、フィリピンのマルコス大統領らと精力的に会見されました。昭和45年9月には「ワクル(WACL=世界反共連盟)世界大会」を東京・武道館で挙行され、アジアの平和と安全の確立に大きく寄与されました。
 共産勢力の伸張によって、守勢に立っていた保守・良識陣営からは、「勝共に久保木あり」との賞賛と期待が寄せられ、中華民国中華学術院から名誉哲学博士号が授与されております。さらに昭和46年6月には、ローマ法王パウロ6世と会見され、世界平和への道について語り合われました。
 昭和48年から49年にかけては、唯物思想、共産主義の脅威を訴え、全国124ヶ所で「救国の予言」講演会を開催し、総計17万余名の聴衆が参加するとともに、全国の有識者に深い感動を与えました。
 昭和54年には、このような勝共国民運動の基盤の上で、「スパイ防止法制定促進国民会議」を設立、広範な国民啓蒙運動を展開されました。その間、昭和53年に蜷川京都共産府政を打倒したことは、「四条河原町の決戦」と呼ばれ、全国的な革新自治体ブームに終止符を打った画期的な出来事として、その功績は今なお高く評価されております。
 昭和59年には「日本の平和と安全を守る全国七大都市大会」を開催し、勝共運動に対するわが国朝野の評価は一気に高まりました。
 このように常に救国・救世運動の最前線に立って指導され、日本のみならずアジアの共産化を防いだ久保木先生の功績は偉大であるといえましょう。
 久保木先生はまた、世界日報社会長、国際ハイウェイ建設を推進する会会長、国際文化財団理事長、日韓トンネル研究会顧問、世界反共連盟日本会長、アジア反共連盟(APACL)日本会長、米国極真空手会長、国際釣り友好連盟会長、東西南北統一運動国民連合常任顧問、世界基督教統一神霊協会会長を歴任、世界30数カ国を歴訪され、各国指導者と交流を重ねてこられました。そして、平成8年には世界平和連合会長に就任されました。
 このように久保木先生は、まさに世界平和に一身を捧げて来られたのであります。同会長の著書には、「久保木修己講演集」「久保木修己講演・論文集」「救国の予言」「愛天 愛国 愛人」等があります。
 久保木修己先生は、世界平和と日本の未来を案じつつ、去る12月13日午前1時59分、享年67歳で永眠されました。逝去に先立ち、令夫人に「積善の家に必ず余慶あり」との言葉を託しておられます。

●送辞

アジア太平洋自由・民主連盟 副秘書長  杜 元方氏

 御生前、自由・民主の闘士として日本と世界各国の人々に尊敬された久保木先生の突然の訃報は、ご家族、ご親戚及び親しい友人に深い悲しみを与えました。67年の生涯のあいだ、絶え間なく社会福祉運動にご尽力なされ、人心の浄化と自由・民主の追求に一生を捧げられました先生の崇高な精神と多大なるご功績は、国境を越え世界で高く評価されています。本日、私アジア太平洋自由・民主連盟の副秘書長杜元方は、慎んでアジア太平洋自由・民主連盟の会員国と事務局を代表し、先生のご霊前に深甚なる追悼の意を表します。先生の魂が天国で安らかにお眠り下さるようお祈り申し上げます。
 なお、先生の高潔なる人格とご功績は、永遠にアジア太平洋自由・民主連盟の会員国の人々の心に残るでしょう。

教え胸に必ずや理想の国造りを

杉本興業株式会社 代表取締役 杉本 儀一氏

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 12月14日出張先で、久保木修己会長の逝去の通報を受けた瞬間、青天の霹靂の如く、頭の中が真白になりました。
 人工透析を行いながら、数々の要職をこなされ、さらに全国を行脚して講演を行うとの決意に接し、その強靭な精神力に驚嘆し、畏敬の念をさらに強めておりましたのに、何という悲しいことでしょう。
 会長との出会いから、爾来30年になる長い月日をご指導戴きながら、お目に掛かる度にさらに敬愛の念を深くしてきた私には、言葉では表せない程の悲しみであり、ショックであります。
 世界平和の為に、日本の安全と繁栄の為に、身を挺して先頭に立って活躍され、数多くの後輩、部下、崇拝者を指導育成され、どれほど日本の為に尽くされたか計り知れません。
 日本人の平均年令にまだ10年にも満たなく、この国の為に20年、30年とまだまだご指導頂きたかったのに、天は何と無情なのでしょう。幽明境を分けて、会長の偉大さを改めて知らされた思いです。
 世界、我が国の現状を鑑みるに、会長のお力をいただきたい大切な時期であります。特に我が国は、精神的にも腐敗堕落し、経済的には困窮の極みであります。この困難とも言える時期を乗り越えるのに、どうしても久保木修己会長のお力をいただきとうございました。
 幸い、会長の謦咳に触れ、会長の心を心として、その指導を受けた数百万の人々が、久保木修己会長の遺志を忠実に守り、強力に進めていくことと存じます。数々の偉業を成し遂げ、世界のため我が国の為に身を挺して歩んでこられたその実績は、今後長く人々の心に伝え継がれ、必ずや理想の国造りが出来ることと確信しております。
 会長より、特にお心を掛けられ、個人的にもご指導ご教訓を戴いた私は、それを固く信じて参りたいと、更なる決意を固めたところであります。
 久保木修己会長の世界を網羅した大きな人脈と、永久に光輝く実績を改めて仰ぎ、そのご逝去は、大きな損失ではありますが、会長の教えを胸にした後輩が数多く心に期していることをご照覧下されたく、安らかなご冥福を心からお祈り申し上げ、送辞と致します。

高尚な生涯こそ、後世への最大遺産

世界平和教授アカデミー代表理事
加藤 栄一氏

 謹んで久保木修己会長の御霊前に弔辞を捧げます。久保木さん、あなたは国際勝共連合会長、世界平和連合会長、世界基督教統一神霊協会会長、その他多くの重要な職にあられました。
 しかし、私にとって最も印象に残っているのは勝共連合の会長としてでありますから、以下、久保木修己会長と呼ばせて頂きましょう。私も共産主義と戦い、昭和60年(1985年)には「共産主義の根本矛盾」を著した者ですから、会長とは同志であります。
 会長は昭和43年に勝共連合を創設し、会長となられました。そのころ、いわゆる革命の4人組が日本を支配しておりました。左翼マスコミ、進歩的文化人、日教組・高教組及び社共両党であります。
 彼らはマルクス・レーニン主義で武装し、互いに協力して言論を制圧し、着々と革命を準備しておりました。共産党とソ連・中共に忠誠をはげんでも、自由で民主主義の日本やアメリカではお咎めなし。かえってマスコミではよく売れる。そして将来ソ連が日本に進駐し共産政府ができればエリートになれるのです。こんなうまい話はありません。
 そして、何十万人の党員、年何百億円の資金を持つ日本共産党が違法行為をするのも恐れずに、しっかり彼らを守っていたのであります。
 逆に、私たち反共の立場の者は、彼らに脅かされても自民党も政府も財界も少しも守ってくれませんでした。万一ソ連が日本を占領し、共産政権ができれば、まっ先に死刑になるでしょう。こんなソロバンに合わない話はありません。
「馬鹿か、勇者か」、孤立して戦っていた私たちにとって、久保木修己会長以下の勇者の群れ、勝共連合ほど、勇気を与えて下さったものはないのです。
 左翼は「地方から政府を包囲する」と呼号して、東京、大阪、京都その他の知事職を奪い取りました。特に京都府の蜷川知事はスターリンのようでした。気に入らぬ部長は、直ちに係長に落とすというような荒さで、京都府の全職員を完全に隷従させました。
 公金で中小企業を助ける制度も、まず、共産党の事務所にお願いしないと府民には使えないのでした。蜷川知事の選挙では、府のすべての出先事務所が蜷川選挙事務所のようになり、全職員が票集めに出払っておる有様でした。もう京都は共産国になっていたのです。日本全部もそうなりそうでした。
 ですから、昭和53年(1978年)、久保木修己会長の指導の下、勝共連合が大活躍してついに共産府政を葬った知事選挙は、1980年にポーランド・グダンスクのレーニン造船所で起った反ソのストライキと共に、世界史上に記憶されるべきものです。四条河原町の決戦がそのクライマックスでした。
 当時アメリカはカーターという弱い大統領でソ連に欺かれていましたから、世界の東と西にこの二つの戦いがなければ、ソ連の世界支配が実現していたかもしれません。
 ポーランドの英雄ワレサ氏はノーベル平和賞を贈られ、のちに大統領にもなりました。私は久保木修己会長もそれに値すると信ずるものであります。
 なぜ勝共運動が共産主義に勝つことができるのか。それは、唯物思想を根に持つ共産主義に対して、久保木修己会長には大きな愛と信仰があったからです。それこそ人々が本当は求めていたものだからです。
 久保木修己会長のその原動力となったものは、大山で神に会われたこと、そして再臨のキリストに出会われたことであります。
 再臨のキリストは会長の奥様にも「この道は奥さんも共に来なければならない道なのですよ」と言われ、奥さんと令息のため奇跡の癒しを与えられました。あらゆる困難を乗り越えて、この方に一生、久保木修己会長は従われました。いや同行されたと言った方がよいかもしれません。それほど会長は「越格」の人でありました。
 会長のような勇ましい高尚な生涯こそ、後世への最大遺産であります。
 今再び会長を必要とする情勢が現れておりますが、会長の後輩は必ずや御遺志を継いでくれるでしょう。
 御霊よ、安かれ、安かれ。

●お別れ会 代表あいさつ

「美しい祖国日本」を我々の手で

国際勝共連合副会長         
世界平和連合副会長  大塚克己氏

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 本日は、年の瀬も押し迫り、公私御多忙の中にもかかわらず、久保木修己先生「お別れ会」にかくも多数の御参集を賜り、心より御礼を申し上げます。
 また、御参席いただきました御家族の皆様、ならびに御親族の皆様には、衷心より哀悼の意を表したく思います。
 美しい日本語で、立て板に水を流すように講演された久保木修己先生。先生の講演は預言的で、問題の本質を鋭く突くものでありました。日本人には見られない優れたユーモアのセンスに富んだ御講演は、多くの人々に忘れ得ない感動を与え続けました。先生の国を思う熱い心情は、各界各層の人々の心を動かさずにはおかなかったのでございます。
 さらに、久保木先生の人徳は国境を越えて多くの人々を魅了するものでございました。久保木先生の「愛天 愛国 愛人」の思想は、アジアの人々にも大きな影響を与えてきたものでございます。まさに「アジアの巨星墜つ」の感がいたしまして、大変残念でなりません。
 さて皆様、本日の祭壇は、故久保木先生が最も愛された山、霊峰富士を模ったものでございます。私達は、富士山を仰ぎ見ますとき、いつも久保木修己先生の憂国の情を思い出したものでございました。
 久保木先生の人生の全ては、まさに霊峰富士に象徴される「美しい祖国日本」の為にあったと言って過言ではございません。まるで、母親がその子を命懸けで愛するように、この「美しい祖国日本」を愛されました。そして「崩れ行く日本を救わなければならない」というのが、久保木修己先生の生涯を通じたテーマであったと思います。久保木先生はまさに、その目的の為に生涯、犠牲と献身の道をゆかれれたのです。
 21世紀へ向かう日本。現在の世紀末の混乱を憂いながら、多くの難題を抱える日本の未来を、病床にあっても先生は御心配しておられました。先生の憂国の情熱は衰えることがなかったのでございます。
 久保木先生によれば、「危機においてこそ人間の良心が喚起され得るのであって、その良心を土台として、団結してその危機に対処することができる」というのでございます。それ故にこそ、良心を揺り動かす人間が必要であるとして、車椅子にお乗りになりながらも、全国を行脚されたのではないでしょうか。
 久保木先生は日本を本当に愛しておられました。そして、どんなに日本が乱れても、決して希望を捨てなかったのでございます。その原点は「神が日本を愛している」という、絶対的とも言える信念であったのでございます。それは、久保木先生がお作りになった壮大な叙情詩「富士は燃えた」の一節に良く表されております。御紹介申し上げます。

神が愛した美しい祖国
だから 愛さねばならない
神が求めたこの同胞たち
だから 私も尋ねていこう
どこまでも続くこの道
ふりかえると 富士はそこにあった
そして若者たちの歩く限り
その心から 富士は永遠に消えなかった。


 御参集の皆様! 久保木先生が願い続けられたのは「美しい祖国日本」の実現でございました。その道を大きく阻み、破壊するものこそ共産主義でございます。共産主義は人類の敵であり、この日本を破壊する以外の何者でもないことを、久保木先生は鋭く見抜いておられました。共産主義との戦いに命を削られたのはその為であったのです。
 神仏に対する篤い信仰を基盤とする豊かな人間性、そして時流に流されることなく正論を訴え続ける勇気! これこそ久保木先生の御姿でありました。
 本日この場におきまして、私達が、久保木先生のそのような御遺志を継承し、アジアと世界の中で燦然と輝く「美しい祖国日本」を実現すべく、一致団結して出発するべく心を固めることこそ、久保木先生への最も良き送別の贈り物と思うものでございます。
 御参集の皆様! 今日まで、久保木先生に賜りました御厚情、重ねて御礼申し上げます。
 今後も、これまで以上の情熱を傾けて前進いたしたく何とぞ、宜しく御指導御鞭撻賜りますように、心よりお願いを申し上げます。

●遺族代表あいさつ

皆様と共にあった生涯

久保木哲子夫人

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 12月も大変押し迫りまして、20日を過ぎたこの師走の忙しい一日をこうして夫修己のために足をお運び下さいまして、心から感謝を申し上げます。夫はいつも、「私の人生はドラマティックである。実にスリルに富んでいる」と申しながら、しかしそれは自らの意志ではなく、何か大きな力に押し出されるように動かされている自分であるということをいつも申しておりました。
 このような大きな理想を掲げて、その目的に向かってひたすら歩んだ67年の生涯ではございましたけれども、これは夫一人で成し遂げてきたものではなくして、本当にお支え頂き、共に歩んで下さった皆様があってこそのことでございまして、心から感謝と御礼を申し上げる次第でございます。
 青年たちを引き連れて富士山を登ったとき、その溢れるような感動を一気に書き綴った詩「富士は燃えた」が皆様のお手元に添えてございます。その中に「この道は誰が行かなくても行かなければならない道である」という言葉がございますが、本当にその目的に向かって歩み続けることができたのは、支えて頂いた皆様があればこそでございます。
 夫も、まだまだ歩み続けたかったかと存じますが、生まれてくるのも終わりを迎えるのも神様のご意思と思います。どうぞ今後とも皆様に支えられて、天よりともに歩んでくれることを心から祈りながら、主人に代わりまして皆様に厚く厚く御礼を申し上げて、ご挨拶の言葉に代えさせて頂きます。ありがとうございました。

●内外からの弔電
▼久保木修己先生の突然の御逝去の報に接し、驚きと悲しみに堪えません。生前の御威徳を偲び、心から御冥福をお祈り申し上げます。
元内閣総理大臣・衆議院議員
中曽根 康弘
▼御逝去を悼み、心よりお悔やみ申し上げます。

前内閣総理大臣・衆議院議員
橋本 龍太郎
▼久保木修己会長様の突然の訃報に接し、在りし日の御功績を偲びつつ、謹んでお悔やみ申し上げます。
元衆議院議長・衆議院議員
原 健三郎
▼久保木修己先生様の御逝去を知り、驚愕致しております。いたって御壮健と伺っておりましただけに、申し上げる言葉もございません。久保木先生の、天を尊び国と世界を愛した救国救世運動の功績は、永遠に語り継がれるでしょう。皆様の御落胆もいかばかりかと存じますが、どうぞ御自愛下さいませ。御冥福をお祈りいたします。
政治評論家 細川 隆一郎
▼久保木修己猊下の訃報に接し、驚いております。宗教者としての卓越した霊性と指導力、その功績を偲びつつ心よりお悔やみ申し上げます。
天台宗大僧正・瑞雲寺住職
山崎 円快
▼天なぜに我らが偉大なる指導者を召されたもうや。慟哭さらなる前進を誓い、御霊を送らん。
秋田大元学長 九嶋 勝司
サミット協議会の理事会を代表して、世界平和連合会長、久保木修己氏の御逝去にたいしてお悔やみを申し上げます。先生は貴国の人々に非常に愛され尊敬された長老でした。今、貴国の皆様が悲しみを共にしていると思います。久保木先生は偉大な業績を残されました。統一運動は強い精神力で力強く成長しています。それはかなりの部分、久保木氏とその御家族の、愛する国のための長年にわたる個人的犠牲の賜物であると考えます。御逝去に際してあらためて弔意を表します。
エジプト元首相 アジズ・シドキ
そのほか、衆参両国会議員142通、地方議員525通をはじめとして、広く国内外から1000通を超える弔電。

久保木修己会長の霊前に献花する参列者たち「勝共の火」は私たちが受け継ぎます…
●お別れのことば
せめて、あと10年…
                         元環境庁長官 大島 友治
 ビデオ上映された在りし日の姿に強く胸を打たれました。意志の強い人であるが故に、無理をされて来られたのではないか。67歳とはあまりに若すぎます。激動するこの日本の現状に、せめてあと10年頑張ってもらい、この国を良い方向に導いて頂きたかったが、本当に残念です。
偉大な宗教家の死を悼む
                     世界日報論説委員長 井上茂信
 以前、久保木先生の著書『愛天 愛国 愛人』についての書評を紙上で述べたことがあります。そこで改めて、勝共運動は単なる反共政治目的ではなく、人間性を超えた絶対的価値観を認めた上での思想哲学運動であることを理解しました。そして先生は知識人や民族主義者の枠を遙かに超えた、偉大な宗教家、哲学者だったと言えます。久保木先生の活躍で国際共産主義は崩壊しましたが、今後は「内なる共産主義」の解決が残されています。共に頑張りましょう。
遺志継ぎ平成維新を
                      千葉大名誉教授 清水 馨八郎
 久保木先生はその名の通り、立派に己を修めた。先生の思想哲学は私の波長とぴったり共鳴します。久保木先生は平成の吉田松陰なのかもしれません。松陰本人は志半ばで亡くなったが、死してその魂は弟子たちに宿り、明治維新を成し遂げました。私たちも志士となって必ず日本を動かしましょう。
「残念」の言葉のみ
                        宮城県議会議員 今野 隆吉
 ただただ、残念です。久保木先生が仙台に講演に来られた時、迫力あるエネルギッシュな講話に感動したことを思い出します。日韓トンネル構想にも胸躍らせました。先生のお話を聞くたびに吸い込まれるような雰囲気の中で、ご指導を受けたわけです。21世紀を間近に控え、今は手本となるものがない混乱の時代です。このような時に指導者を亡くしたことは返すがえすも残念でなりません。次代を担う世代が久保木先生の遺志を継ぐことを念願します。
ご指導頂いた日々懐かし
                   千葉・習志野市議会議員 三浦くにお
 私が国際勝共連合の結成当時から救国運動に携わって30年となります。この間、久保木先生と何度もお会いしてご指導頂きました。今年の全国代表者会議で久保木修己会長ご夫妻と写真を撮り、地域のため国のために頑張りなさいと暖かい励ましのことばを頂いた光景が脳裏に浮かびます。享年67歳とは若すぎます。これからの日本の行く末を考えれば、久保木修己会長にはまだまだ大いに活躍して貰いたかった。寂しい気持ちが先立ちますが、残された私たちが一致団結して局難を乗り越えていきたいと思います。
日本あるのは先生のお陰
                        長野市議会議員 入山 路子
 議員セミナーや大会に参加すると「いつも君は出て来るんだね」と、笑顔で語りかけて下さいました。最後にお目にかかったのは、2年前の世界平和連合の長野県連合会の設立大会でした。お齢を召されても、情熱溢れるお話と青年のような眼差しは若かりし頃の姿と変わっておられませんでした。憂国の士として、先生がいらっしゃらなかったら、今の日本と私たちはなかった、と改めて思わされます。
青少年の健全育成に務めます
                        中野区支部長 高崎 喜久子
 勝共連合の結成時、先生は私の名前をすぐ覚えて下さり、「日本の為に力になってほしい」と仰って頂き、これまで運動して参りました。ご病気と伺い、心配しておりましたが、残念でございます。先生は若者の荒廃を憂いておられました。青少年の健全育成を果たす為、今後も尽力して参ります。
思い出深い渋谷の街頭演説
                     五日市支部婦人部長 菅沼 シズ
 久保木先生とは立正佼成会時代からのおつき合いで40年近くになります。先生は日本を救いアジアを代表する人物であると信じてやってきました。これから一体日本はどうなるかと心配です。渋谷のハチ公前で街頭演説をしたり、大会にバスを連ねて行ったことが懐かしく思い出されます。

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