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File-52「天賦」という言葉の真意

思想新聞2002年3月15日号 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 6

「自己決定」は秩序破壊するだけの論理的道具立て

公的世界を唱えたアレント

Q その「天賦であるはずの個人の人権と、国家の利害とが反目し、天と個人に介在するものが悪になってしまった矛盾」というのはどういうことなのでしょうか?

「人生に意味はない」は真実か?

A はい。そもそも、「天賦人権」と言われるところの「天賦」とはどのような意味でしょうか。まさしく「天から賦与された」というわけですね。「自然権」「自然状態」も同様だと思います。
 ところが今日、「人権」は一人歩きしてしまったのです、「自己決定」という武器を手にして。自己決定論については前にも何度か言及してきましたが、突きつめれば価値相対主義であり、アナーキズムに至ります。つまるところ、価値と秩序を破壊するだけの論理的道具立てだ、ということです。
 厳密に言いますと、価値相対主義と無政府主義は違います。ところが、よくよく調べてみると、こうした自己決定(自己責任という側面を排除して)を主張する人々は、確信犯的なアナーキストである場合が多いように見受けられます。
 たとえば宮台真司・都立大助教授のように、価値相対主義者であるようにみせかけながら人生相談を受けた青年に対し「人生には意味はない」などと無責任にうそぶいて実際に若者を「自殺に導いて」います。真正かつ真摯な価値相対主義者であるなら、「人生に意味はない」などという発言はできないでしょう。せいぜい「私の人生に意味はないが、キミの人生には意味はないかもしれないし、あるかもしれない」と言えるだけではないでしょうか。
 もっとも、この「天賦」についてさらに議論を進めて「生命」について考えていくなら、自殺を含む殺人というものはできないように思われます。「人権」のみならず「生命」までも「天賦」であると考えるとそうなるのです。というのは、「自分の存在を自己決定することはできない」からです。「自己の存在」を決定づけたのは、いわば両親と言えるのでしょうが、そればかりとは言えないような気がします。
 なぜなら、「私という存在を取り巻く世界」「私を育んだ環境」というものも、自己の「存在を規定」している、と言えるからです。これは、もう少し哲学的・存在論的に論じることができますが、議論が混み入ってしまうので、この「私という存在を育む世界」について少し触れてみましょう。

私的領域の闊歩に警鐘を鳴らす

 この点に関しては、ドイツ生まれの米国の政治哲学者、ハンナ・アレント(1906~75)が取り組んだ「公共性」の問題を考えると納得がいきそうです。
「公的(パブリック)とは第一に、公に現れるものすべて万人によって見られ、聞かれ、可能な限り最も広く公示されるということを意味する。…(中略)…リアリティに対する私たちの感覚は、完全に《現れ》に依存しており、したがって、公的領域の存在に依存している。
 第二に《公的》という用語は、世界そのものを意味している。……しかしここでいう世界とは地球とか自然のことではない。……世界は、人間の工作物や人間の手が作った製作物に結びついており、さらに、この人工的な世界に共生している人々の間で進行する事象に結びついている」(『人間の条件』ちくま文庫)
 アレントは、冷戦のただ中であった1950年代に、この書を著したのですが、既にマルクス主義の社会把握を誤りだとして破綻を予言したばかりでなく、「人間が自己自身へ逃亡する社会」、つまり公共性よりもプライベート、私的領域が闊歩する時代が到来すると分析していたのです。

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