思想新聞2004年3月15日号【ポストマルクスの群像】5
■エンゲルス・3
ヘーゲル哲学とイギリス古典経済学を批判的に摂取した「哲学屋」「エコノミスト」であったマルクスに比べ、エンゲルスは「科学」を自らの「守備範囲」としました。そこでダーウィニズムを積極的に採り入れ、唯物史観の武器としましたが、これは後のフロイト思想に通じる態度と言えます。
前回は、経済的メカニズムからのみ歴史を解釈し、「再構成」していくエンゲルスの「科学性」に対して、明らかに問題ありと異議を呈しました。
マルクスとエンゲルスの知的分業
エンゲルスは、その著『自然の弁証法』の中で、「サルが人間化するにあたっての労働の役割」と題する一章を設けているように、唯物史観を形成するにあたって最も重要な典拠としたのは、言うまでもなくチャールズ・ダーウィン(一八〇九~九〇)の『種の起源』によって提示された進化論でした。
マルクス主義擁護の立場からマルクス没後の思想運動史としてのマルクシズムを克明にたどった『アフター・マルクス』(新評論)で著者のD・マクレランは、マルクスとは異なるエンゲルスの特質を、次のように捉えています。
「マルクスとエンゲルスとは意識的な『知的分業』を営んでいた(その際の持ち分は、マルクスが歴史学と経済学とに全力を集中し、エンゲルスが軍事戦略や自然諸科学に注意を払う、というもの)。しかも、そもそもの出会いの頃から常に、二人の間には研究態度の面で若干の相違があった。エンゲルスの方は、自学自習の道を歩んだのであって、学問的に深く掘り下げたドイツ古典哲学の訓練を受けてはいなかった。それどころか彼は、働き盛りの大半を、工場経営という至って実際的な仕事に携わりながら過ごさなければならなかった」
こうした指摘の通りに、エンゲルスの哲学よりも自然科学への志向というものが見られるのです。しかも、彼は工場を経営するという点においてまさに「ブルジョア階級」そのものであったわけです。確かに、そうした社会的地位になければ、マルクスのパトロンとなることはできなかったわけでしょうが…。因みに、エンゲルスのこの「科学志向」を極めて高く評価するのが、「科学的社会主義」を称する日本共産党です。
さらに、「一八七〇年に商売から身を引いたエンゲルスは、晩年の二十年間は、彼の時間の相当な部分を自然科学の研究に当てていた。……それを通じてエンゲルスに特に重要であると思われたものは、エネルギーの転化の発見、生物学的転化の基本単位としての細胞の発見、それにダーウィンの進化論であった。これらの関心事は、エンゲルスによる彼独特の『世界観』の提示と、唯物論的な歴史観よりもむしろ唯物論的な自然観の強調とに、影響を及ぼさずにはおかなかった。中でもダーウィンの仕事は、エンゲルスに重大な影響を与えた」(同書)と記しています。
もちろん、マルクス自身も自然科学の成果を「あらゆる知識の基礎を成す」(『資本論』準備作)と高く評価してはいたようですが、その「担当」はエンゲルスだったわけです。それでも、後輩のマルクス主義者たちには賛否両論だったようです。
科学的世界観を奉じたフロイト
しかしエンゲルスが『自然の弁証法』の中で開陳した、「サルから人間への進化の要因は二足歩行と道具を使った労働である」という考え方は、実は今もって歴史の授業などでは根強い考え方です。マルクス主義もダーウィニズムも、専門家の間では厳密には今や「科学」と見なすことはできなくなっているにもかかわらず、です。
それには、やはりフロイトによる「援護射撃」の影響もあるのではないか、とも思われます。そこで現代においてマルクスを「補完」するかのような役割を演じるフロイトとの関係について見てみましょう。
フロイトは、ロマン・ロラン宛ての書簡で、「私は生涯の大部分を人類の幻想を破壊することに費やした」と記しましたが、ここでいう「幻想」とは、科学的認識と相反する因習や偏見であり、とりわけそれは、性に関する不合理なタブー、国家や集団の中で人々が共有する偏見や一体感の幻想だ、というものです。
これに関し「フロイトは、意識を中心に自己の精神を捉える幻想までも破壊し、意識よりも無意識の方がより広大な領域を持っている事実を明らかにした自分を、地動説によって地球中心の宇宙観を破壊したコペルニクスや、進化論によって自分たちを『神の子』と見なす人間本位の人類観を破壊したダーウィンに比している」と小此木啓吾・東京国際大教授は述べています(『フロイト思想のキーワード』講談社)。
フロイトは自らの拠って立つ思想を、キリスト教・ユダヤ教の宗教的世界観などと対峙させ、晩年『続・精神分析学入門』で「科学的世界観」と呼びました。これは十九世紀末以降に台頭した実証主義的自然科学を拠りどころにし、「普遍的知性」を追求したと言えます。フロイト自身はマルクス主義を一長一短と認識しましたが、ダーウィニズム的態度を志向しているという一点において、根底では立場を共有していると言えましょう。
■【エンゲルスに大きな影響を与えた自然科学上の3つの新説】
① ダーウィンの進化論
〔『種の起源』――自然選択説〕
② エネルギー保存と転化の法則
〔ヘルムホルツなど発見〕
③ 細胞の発見 ――生物界の統一性
〔シュライデンとシュヴァン〕
■資 料
▼ 猿が人間化するにあたっての労働の役割
「手は労働の器官であるばかりか、手は労働がつくりだした産物でもある。労働によって、また次々に新しくなってゆく諸作業への適応を通じて、またそれによって獲得された筋肉や靱帯の特異的発達……を遺伝的に伝えることによって、人間の手はラファエロの絵画、トルヴァルセンの彫刻、パガニーニの音楽を魔法の杖さながらに世に生みだしうる高度の完成を勝ちえたのである」(F・エンゲルス『自然の弁証法』)
▼「人類の幻想の破壊」に捧げたフロイト
「私は生涯の大部分を人類の幻想を破壊することに費やしてきました」(S・フロイト「ロマン・ロラン宛の書簡」一九二三・3月4日付)
■参考資料と解説■
一夫一婦制家族(以下、家族と略す)の批判と、これを超えていこうとする試みが登場するのは私有財産制を廃止しようとする試み(その最初のものはフランス革命時のラジカルグループ・ジャコバン党の中にみられた)とまったく一体になっている。ところが、ロシア革命を経て一国社会主義の建設へと走ったソ連によって、この両者は分断されてしまった。この不幸な国の成立は世界の人々の不運をもたらした。家族が崇高な理念になり、人々への貴重な遺産であったマルクス主義を含む社会主義の理念までもが書き換えられてしまう。
その結果、マルクス主義者と称するものの多くが家族擁護派となり、性道徳に対する偏狭な説教をたれるようになる。そのため、家族を越えようとする者たちはマルクス主義の外に論理基盤を据え、いかがわしい観念論に戻ったり「マルクス主義の陥穽を埋める作業」などと称してマルクス主義の換骨奪胎に血道を挙げている。
そこでもう一度、マルクス主義の家族理論を、その先駆をも含めて整理しなおしておきたい。そこには、フランス革命以後の人権の歴史、家族に関する新たな考え方の発展を見出すことができるからだ。確かに、ロシア革命の壮大な実験は失敗に終わってしまった。その家族制度に対する挑戦もまた、頓挫してしまった。しかしその過程で積み上げられてきた人権に関する考え方の多くは、なお生命を持って世界に息づいている。その一部は北欧を揺るがせ、世界に伝播し、もはや誰もが無視し得ない考え方になっている。事実婚の容認、婚外子差別の廃止がそれである。が、ここではその背景にあったもっと大きな考え方、すなわち家族を超える理論の流れを追ってみることになる。
参考(佐藤文明〔戸籍研究者〕氏の書籍〔https://ryokufu.com/product/8461-1002-4〕)
[解説]
法務省は3月9日、嫡出子と非嫡出子に関する戸籍での記載方法の区別を撤廃する方針を決めた。現行の施行規則では、嫡出子は戸籍の続き柄欄に「長男」「長女」などと記載されるが、事実婚など法律上の結婚をしていない両親の子供(非嫡出子)は「男」「女」と記載。規則の「改正」により、非嫡出子についても「長男」「長女」などと記載する方向だ。東京地裁は2日、現行記載方法はプライバシー侵害だとして東京都内の親子が損害賠償を求めた訴訟で、「必要性の限度を超えて権利を侵害」と判断したばかり。非嫡出子を巡っては、国連の人権関連の委員会が日本政府に是正を勧告していた。
だがこうした機運が、民法改変にとどまらず、家族と婚姻システムの根幹を揺るがす大問題であろうことは、論を待たない。
実際、ここに提示するのは、自ら「戸籍解体」を標榜し、自ら法的な家庭を拒否し「事実婚」を通す「マルクス主義活動家」佐藤文明という人物の論稿である(著書に『戸籍』など)。彼はかつて大平内閣の「家庭基盤拡充構想」をして「家族ファシズム」と呼んだ筋金入りの家族解体論者である。
ここからわかるのは、マルクス共産主義がいかに「家族解体」をラディカルに唱えていたかということだ。そして ソ連をはじめとする「体制内での挫折」や「妥協」は本来的な共産主義ではないと断じているのである。
こうしたマルキストがマルクス=エンゲルスやフーリエに原点を見つつ、家族問題の現在をどう捉えているのかが如実に窺える。


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