難民支援NGOにより再脚光
思想新聞2002年12月1日号 共産主義は間違っている!!
摩訶不思議な「人権真理教」国家・ニッポン 23
人が人として生きていくということ
北朝鮮難民支援団体の災厄
Q 11月上旬、中国政府に北朝鮮空の脱出者、いわゆる「脱北者」の手引きをしたとして身柄を拘束され、強制退去処分となった日本人NGO(非政府組織)の代表がいましたね。
A NGO「北朝鮮難民救援基金」の加藤博事務局長ですね。彼が主張するところは、脱北者が出国しても周辺国が難民として認定しない、それは人道問題だ、ということです。中国などは罪を犯して北朝鮮から逃れてきた逃亡者としか見ていない。しかし食べるものもなく、生き延びるにも至難の状況の中で、座して死を待つよりは、命を賭してでも脱出の道を選ぶ、というわけです。最近、かつての北朝鮮による「帰国事業」によって「地上の楽園」を夢見た在日朝鮮人の人々とその日本人妻(配偶者)たちが、「帰国」の果てに見たのは、「地獄絵図」だったという状況が、ようやく脱北者によって語られるようになってきました。
このNGOは、中国国内で北朝鮮難民約300人を保護し、子供たちに教育活動を行ったり、北朝鮮の25カ所に食糧配給ポイントを設け、支援を行っているようです。その加藤氏が「(在日朝鮮人の)帰還事業を進め、現在の問題の一部を引き起こした日本政府は(難民問題の解決に)汗を流すべき」と訴えています。
北朝鮮帰還事業は、日朝両赤十字社を窓口として昭和34年から59年まで実施、日本人妻約1830人を含む、9万3千人強の在日朝鮮人とその家族が北朝鮮に渡ったのです。加藤氏によると、このうち脱出した日本人妻20人が帰国しているようです。数年前、「里帰り」を果たした日本人妻がいましたが、それこそ一握りの「模範生」でした。
生命や財産守るのが本来の人権
これまで国家主権と人権の問題について議論してきましたが、「人権」という概念は曖昧なものです。そもそもこの概念が成り立つためには、「人権」を「生命や財産を所有する権利」と言い換えてもいいわけです。人が人として生きていくことのできる権利ですね。ところが、人が人として生きていくことができない社会が、世界中にはいまだ多くある。絶対的な独裁権力をもって人々をロボット化させているような国もそうです。
さらに強調したいのは、どれほど富をもったとしても、「人として生きていくことができない」闇社会の住人もいることでしょう。拝金主義・物欲至上主義のゆえに、平気で殺人をも犯してしまう。
そこにかいま見えてくるのは、「理念の不在・欠如」と言えるでしょう。教育理念、国家理念、目標、構想といったものです。そうしたものはことごとく、価値相対主義的(ニヒリズム、アナーキズムも)なロジックを主張する人々によって否定されてきました。
いまいちど考えてみましょう。「なぜ、人を殺してはいけないのか」という命題を。単純に、答えの出すことのできない主観的な問題だ、と片づけてしまうのはどうでしょうか。
自分には「自分という意識」がある限り「生命」をもっているわけですが、自分と同じように他者にも「生命」があり「意識」というものがある。では「生命がある」とはどういうことか。「私という存在」への問いですね。
フランスの哲学者ルネ・デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と主張して、自分の意識以外を徹底的に疑いました。しかしながら「私という存在」も、そもそもその原因者がいなければ、存在しません。キリスト教徒もイスラム教徒も、究極的には「神」へと帰趨していくわけでしょうが、そこまで考えなかったとしても、少なくとも、「私の原因者」として「両親」の存在があります。それは私の意志で決定できるものではありません。
そこで次に「なぜ親(家族)を大事にしなければいけないか」という命題が生じてくるのです。「先祖を大切にする」ということも同じです。
この問題は、日本はもちろんそうですが、共産主義理念を捨て経済的には資本主義、理念的には自由民主主義の手法を漸進進的に採りいれてきつつあるロシア・中国においても深刻な事態を招いていると言えます。


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