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中国の共産党政権に「正統性」は存在しない

この記事は2011年2月23日に投稿されました。

リビアの最高指導者ムアマル・カダフィは民主化デモを徹底弾圧するつもりらしい。2月22日に国営テレビを通じて演説し、「私は革命家であり、辞任しない」と公言、天安門事件を引き合いに出し反対者は「死刑だ」と言い放った。それで思い出した人も少なくないだろう、中国共産党政権は「血の弾圧事件」の張本人だったことを。天安門事件だけではない。チベットや新疆ウイグルでも「血の弾圧」を繰り広げた。いったいカダフィ政権と中国共産党政権はどこが違うのか。リビアには憲法がないが、中国には憲法がある。確かにここは違う。だが、それは上辺だけの話であって、どちらも独裁政権に変わりはない。それもカダフィは独裁41年だが、中国は実に独裁61年だ。カダフィが「革命」を自らの正統性の根拠にしているように、中国共産党も「革命」を正統性の根拠にする。リビア軍の一部は国家の軍隊でなく、カダフィ個人の親衛隊(傭兵)だ。中国の人民解放軍も国家の軍隊でなく、軍隊全体が共産党の軍隊だ。リビアの政権中枢はカダフィの一族郎党が占め、富を独り占めにしている。中国では次期最高指導者とされる習近平副主席が「太子党」(共産党幹部の2世)であるように、共産党員7800万人の一族郎党が支配層を形成し、経済成長の富を自らの懐に溜め込んでいる。リビアでは民衆が決起し、カダフィに正統性がないと訴えている。では中国共産党政権はどうなのか。カダフィ以上に正統性などありはしない。

「アラブ革命」に戦慄しネット封鎖に血眼

中国は「アラブ革命」に戦慄している。2月19日、ネット上に中東の民衆デモに続こうとばかりに「中国茉莉花(ジャスミン)革命」を呼びかける書き込みが広がった。北京や上海など13都市の繁華街の広場で20日午後2時に集まり、「一党独裁を終わらせろ」「民主主義万歳」のスローガンを叫べば、「歴史が変わり始める」というのだ。これに共産党は大慌てで、ネット管理に血眼になっている。19日には胡錦濤主席が中国共産党の中央党学校で政府幹部に対して「社会管理」をテーマとした重要講話を行い、「インターネットの管理を強化し、ネット世論を誘導するシステムを完備せよ」と命じた。それだけでなく2月8日には「中国共産党軍隊委員会工作条例」の改訂版を作り、「軍は党の指揮通りに動く」と改めて定めたという。エジプトのように軍が民衆側につかないように統制し、いざとなればカダフィ同様に再び「天安門事件」を引き起こす魂胆なのである。20日には13都市で厳戒態勢に入り、広場に集まった100人以上を連行したと伝えられる。今後はこうした行動には国家転覆煽動罪を適用した徹底取締りを示唆している。
 中国のネット監視網は強力である。治安当局が数万人を動員した監視システム「金盾工程」を使ってネットを徹底監視し、共産党に不都合な情報が載ったサイトは即時遮断する。アラブで活躍したフェイスブックやツイッターは完全封鎖している。中東民主化デモが広がると、人民解放軍の「網軍」(ネット軍=30万人規模)まで動員、また7800万人の共産党組織をフル動員して監視体制を張り巡らしている。

国民世論の共産支配を狙い言論統制も強化

すでにメディアに対しては言論統制を強め、国民世論を共産党のもとで掌握しようと躍起となっている。それは今年が辛亥革命100年(10月10日)で、孫文の3民主義などをもって共産党批判が起こることを恐れているからだ。1月4日には共産党全国宣伝部長会議を開き、全国で「愛国主義教育」の徹底を命じ、さらに1月5日、党中央宣伝部は全10カ条からなる報道規制をメディアに文書で通知した。通知は詳細にわたり、▽災害・事故=発生地と異なる地域のメディアは取材不可。重大な災害や事故は中央メディアの現場中継も認めない▽土地収用問題=暴力的撤去や立ち退き過程で起きた自殺、抗議などの報道禁止▽抗議デモ=問題の矛先や焦点が党委員会や政府に向かうことを防ぐ▽腐敗問題=政治体制改革に関する問題提起などをしてはならない。政府と対立する立場に立つことは絶対に許さない▽不動産問題=不動産価格の独自調査や市民の意識調査は禁止。極端な価格変動した事例を取り上げ騒ぎ立ててはならない―といった内容である。
 これに加えてアラブ情勢を踏まえてネット統制システムを作り上げようというのだ。国民生活のすべてを共産党が掌握しようというわけで、「文化大革命以来の言論弾圧」(人権運動家)へと突き進んでいる。

「孫文の理想」をことごとく破る強権政権

このように言論弾圧に血眼になるのは、力で押さえつけない限り、共産党政権が維持できないからだ。そもそも100年前(辛亥革命)の「孫文の理想」を共産党は踏みにじってきた。孫文は辛亥革命でアジア初めての共和国を作ったが、共和国というのは「主権は国民全体に属する」(辛亥革命時の中華民国臨時約法=憲法=第2条)ということである。この「民権」こそ、辛亥革命以来の中国政治の大義である。列強諸国からの「独立」、バラバラになった中国の「統一」、民衆を豊かにする「富強」、そして「民権」が近代中国の大義であることを想起しておかねばならない。それゆえに孫文は、3民主義(民族主義・民権主義・民生主義)と5権分立(立法・行政・司法に加え考試=官吏の登用、監察=他の4権に対する監督を加えた5権)を掲げた。これらを近代中国の大義とするからこそ1949年9月、中華人民共和国の建国に当たって開催された政治協商会議(当時の最高政治組織)において「中華人民共和国は独立、民主、平和、統一、富強のために奮闘する」との共同綱領を採択したのである。ここに「民主」が明記されていることを共産党はよもや忘れはいまい。
 だが、この大義は現在の共産中国のどこにも存在しない。孫文の「統一」は3民主義の民族主義に集約されるが、それは決して華人中心思想ではない。満人の清に代わって新たに民族の統合を図るには5族(漢、満、蒙古、回、チベット)の共和(5族共和)が不可欠とし、それぞれの宗教・文化・自治を重んじるものである。それは共産党の偏狭な民族主義(華人支配)とは異質である。共産党政権はチベットや新疆ウイグルにおいて民族・宗教破壊を繰り広げており、5族共和とは程遠い銃剣による帝国主義支配でしかない。富強も共産党員の一族郎党のみの富強にすぎないのである。

「共和国」を名乗る資格はどこにもない

中華人民共和国というけれども、そもそも共和国とは民主主義に基づき主権が国民に所有されている国を指す。それは国民によって直接あるいは間接に選挙によって選ばれた代表が統治する制度である。選挙で統治者を選んでいない中華人民共和国は共和国を名乗る資格はない。中華人民共和国は、中国人民の国でなければ、誰の国なのか。それは共産党の国である。事実、中華人民共和国憲法は前文において「中国の新民主主義革命の勝利と社会主義事業の成果は、中国共産党が中国の各民族人民を指導し、マルクス・レーニン主義及び毛澤東思想の導きの下に、真理を堅持し、誤りを是正し、多くの困難と危険に打ち勝って獲得したものである」と共産革命を自賛し、さらに「中国の各民族人民は、引き続き中国共産党の指導の下に、マルクス・レーニン主義、毛澤東思想及び鄧小平理論に導かれて、人民民主独裁を堅持し、社会主義の道を堅持し」などと共産党による独裁政権であるとうたっているのである。
 かかる共産党の指導下にある国家をふつうの国家と同列に論じるようなことがあっては断じてならない。共産党は1927年の南昌蜂起以降、軍閥や国民党との熾烈な権力闘争に打ち勝ち、中華人民共和国を樹立したのは、いかなる状況に陥っても軍事力を手放さなかったからにほかならない。毛沢東が言ったように、まさに銃口から政権が生まれ、銃口によって政権を維持してきたのである。それが現在の共産中国である。だからこそ人民解放軍の建軍記念日は南晶蜂起の日である1927年8月1日なのである。これは人民解放軍が中華人民共和国の軍隊でなく、共産党の軍隊であることを如実に示している。「党の絶対指導下で革命の政治任務を執行する武装集団」(江沢民主席「重要講和」=1998年12月25日)なのである。

世界共産化の野望も抱き続ける大義なき政権

これが憲法に「共産党に指導される」とした「指導」の中身である。そして共産党の軍隊をもって「人民民主独裁」という名の共産党一党独裁を堅持するのが共産中国であり、チベットやウイグル、満州、蒙古など少数民族を「中国の諸民族の人民」の名のもとに軍事支配下に置いているのである。そればかりか、憲法前文に「帝国主義、覇権主義及び植民地主義に反対することを堅持し、世界諸国人民との団結を強化し、抑圧された民族及び発展途上国が民族の独立を勝ち取り」とあるように、「マルクス・レーニン主義、毛澤東思想及び鄧小平理論」に基づいて、世界共産化の野望を抱き続けているのである。
 以上から、中国共産党政権に中国民衆を治める「正統性」がまったく存在しないことは自明の理である。このことを念頭において共産中国と関わっていかねばならない。

2011年2月23日

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