家族を破壊・解体する「個人主義アトミズム」
思想新聞2001年9月1日号シリーズQ&A 共産主義は間違っている!!
フェミニズムの仮面を被ったマルクス主義 24
「生命の連続性」の思想を内包
Q 前回は八木秀次・高崎経済大助教授の「ライフスタイルについての自己決定権の主張は、つまるところ個人を至上とするアトミズムにほかならない」という論点を紹介してもらいましたが、アトミズムというのは「原子論」というわけですよね。
A 「原子論」、そうですね、言い換えれば、原子の概念でもって化学の体系を構築していくように、ものごとを「割り切って」考えること、見なしていいでしょう。これは「還元主義」とも呼ばれるものです。です。
八木秀次助教授の「ライフスタイル自己決定権は、個人至上主義のアトミズム」という論点ですが、これはまた、別の角度からも言えるのです。
つまり例えば、加地伸行・阪大名誉教授(中国哲学)は、日本の伝統的な、ひいては北東アジアに共通する「家族観」について、『家族の思想 ~儒教的死生観の果実~』(PHP新書)の中で興味深いことを述べています。
加地名誉教授は、日本の伝統的な葬儀仏教というものは、インド仏教よりもむしろ儒教の死生観の影響が強いというのです。さすがに儒教の権威だけあり、日本人の多くが持っている仏教徒だという意識からすると、目からウロコのような説です。確かに中世から江戸時代に武士道と結びついたのも、儒教的精神でしたが、日本の伝統的な家庭に多く見られる、「仏壇と神棚の同居」についての根拠を示していると言えるかもしれません。
「仏教では魂だけが輪廻転生してゆくのであり、肉体は乗り物にすぎず、死ねば焼いて捨てるまでである。墓などは作らない。儒教ではこう考える。子は親の肉体のコピーであると。だから子孫あるいは一族が後世に生き続けるならば、自分はいつか死を迎え個体としては消滅するが、遺体(遺した身体)はこの世に生き続けることができるとする。
このように儒教では、死後、魂はこの世に存在し、子孫・一族が祭祀してくれればいつでも帰ってくることができるとし、肉体は子孫・一族が続くことによって、この世に生き残り続けうるとした。こうして、魂・肉体ともにこの世に存在し続けうるとして、死および死後の説明をなしとげ、東北アジア人の死の恐怖や不安を取り除いた。だからこそ儒教は東北アジア人に支持されてきたのである。中国仏教・日本仏教ともに、インドが生んだ仏教原理とは異なりつつ、先祖供養など儒教的儀礼を取り入れざるを得なかったのは、儒教文化の壁が厚かったためである」
このように述べた上で、加地名誉教授は次のように儒教的文化の本質・真髄というものに触れます。
「こうした宗教性に基づく儒教は、祖先祭祀と子孫・一族の繁栄を軸とする生命の連続に最大の価値を置くということがよく分かるであろう。この価値の表現の場こそ、家庭であり、家庭を構成する家族を神聖視することとなる。この点が重要である。さらに言えば、家族は生命の連続の実現であるから、一人一人の人間は、個人としてではなくて、個体として家族の中にあるとする。この個体のエゴに対しては、家族が抑止力となった。そういう形で、儒教の家族主義が成立したのである」(前掲書)
これがまさに、八木助教授が「個人至上主義はアトミズム」とした見解に一致するものではないでしょうか。


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