思想新聞2004年6月1日号】勝共理論 マルクス人間疎外論 10
マルクスは『資本論』において、資本と資本家についてこう定義づけました。
資本とは「自分を増殖する価値」であり、「胸に恋でも抱いているかのように『働き』はじめる活気づけられた怪物」であって、「吸血鬼のようにただ生きている労働の吸収によってのみ活気づき、そしてそれを吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働」と。そして資本家とは「人格化された資本」であり「資本の担い手」であると。
マルクスによれば、資本とは資本家の私的所有になっている生産手段のことで、これは労働者を搾取する手段でもあります。また資本は物ではなくて、生産過程における人と人との社会関係のことでもあるとし、したがってマルクスが資本というとき、それは資本主義的生産関係あるいは資本主義制度をも意味しています。それゆえ労働者から労働生産物を奪った元凶は「資本主義」という経済制度という結論になるのです。
しかも、このような資本は「本源的蓄積」から作られ、それは原罪と同じだと言います。アダムがリンゴをかじって、そこで人類の上に罪が落ちたとする神学上の原罪の伝説は、どうして人間が額に汗して食うように定められたかを語っているが、経済学上の原罪の物語はどんなに労働しても大衆の貧窮はなくならず、資本家の富が引き続き増大してゆくことを物語る、とマルクスは『資本論』で言うのです。
「本源的蓄積」とは、資本主義的生産様式の出発点となった資本の蓄積のことですが、その代表的な過程が農民を強制的に共同地から追いたてた15世紀末から18世紀末にかけての、イギリスにおける土地の「囲い込み」(エンクロージャー)でした。それは暴力的な「民衆の大群からの土地や生活手段や労働用具の収奪」と、それによる民衆の賃金労働者への転化でした。マルクスはそれを「資本は、頭から爪先まで毛穴から血と汚物をしたたらせながら生まれてくる」と表現したのです。
結局、マルクスによれば、「労働者からの労働生産物の疎外」を生じせしめたのは、「資本」あるいは「資本家」、「資本主義」であり、さらにさかのぼれば「資本の本源的蓄積」です。これこそが原罪だと言うのです。
このように『資本論』は、あらかじめ定めた目標(私有財産制の廃止、暴力革命による資本主義の打倒)が不可避であることを労働者に思い知らしめ、憎悪を駆り立てるために「原罪」を作り上げたのでした。


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