日本の家族制の儒教的側面と西欧的側面
思想新聞2001年9月15日号 シリーズQ&A共産主義は間違っている!!
フェミニズムの仮面を被ったマルクス主義 25
「姓氏」に込められた人類の知恵
儒教的夫婦別姓は遺伝子的標識
Q 「アトミズム」についてはわかりました。加地伸行・大阪大名誉教授によると、日本を含めた北東アジアの人々の家族観・家族のあり方にとって、最も大きな意味と影響を与えてきたのが儒教的死生観だということですが、同じ東北アジアといっても、日本は例えば韓国や中国とは明らかに異なっているのではないでしょうか。S・ハンチントン教授も、かの『文明の衝突』において、日本を韓半島や中国とは異なった(独自の、そして孤立した)文明として見ているようなのですが…。
A 確かにその通りです。例えば、家族制度における夫婦の姓の名乗り方一つを取ってみましょう。「男女共同参画社会」がかまびすしく叫ばれる今日ですが、夫婦別姓論議についてもいまだ侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が絶えません。
今日の別姓論者は、同姓こそ「家父長制的イエ制度」の表れだとしています。しかし、儒教本来の伝統から言えば、韓国・中国の例を見ても「夫婦別姓」なのです。これについても、加地教授は、日本がなぜ中韓両国と異なるのか、以下のように明快に説明しています。
「近親相姦を防ぎ、正常な婚姻に基づく家族の財産を保護するという意味がファミリーネームにある。そうした家族の婚姻・出産・死亡に関わっていたのがキリスト教の教会である。キリスト教文化圏の女性は、結婚するとファミリーネームの中に入り夫婦同姓となった」と姓氏の持つ意味を示し、儒教的伝統のもつ夫婦別姓は形式的に《遺伝子記号上の標識》と見なすが基本的に同姓と変わらない、と断った上で、「配偶者はもちろん親族の内にあり家族であるから戸主と同姓となる。するとこれは夫婦別姓という儒教的伝統に反する。《通説》は、夫婦同姓化の理由として、いわゆる家制度を挙げているが、そうなるとその家制度と伝統的夫婦別姓との関係がどうなっているのか説明してもらいたいものである。家制度が儒教的なものなら夫婦別姓であるべきではないのか。にもかかわらず、夫婦別姓という儒教的伝統を切り捨ててまでして、あえて夫婦同姓にしたのには、儒教的伝統とは別の根拠がなくてはならない」(『家族の思想』)と断じます。
このように別姓論者の論点を批判しつつ、加地教授は独特の歴史的背景を解説しています。
夫婦同姓はフランス民法典から
「私は、その背景として、幕末に結ばれた外国との諸条約における不平等に対する改正運動があると見る。……明治政府は関税自主権の獲得、治外法権の撤廃等をめざしてその改正に全力を尽くした。そのとき相手国は…自分たちの国と同じような民法・刑法等が日本になければ、日本における自国民の安全は期しがたいとして、《欧米並みの法律体系》の整備を前提にして条約改正に応じようという、アジアを後進国とする尊大な態度をとったのである。
明治政府は欧米先進国をモデルとして近代化を図る際、民法についてはフランス民法等が重要な参考書となり、それらを真剣に研究した。欧米流民法を作るのは、不平等条約改正という大義のためであった。その結果、明治民法は夫婦別姓のほか儒教的伝統のいくつかを切り捨てた。時の法学者はこう嘆いた。『民法出でて忠孝滅ぶ』と。 ……明治二十四年十月の《司法省指令》はあくまでも《婦女姓氏ノ件ハ、婦女 人ニ嫁スルモ…生家ノ氏ヲ用フベキモノトス》としている。すなわち儒教的伝統としての夫婦別姓である。それが旧民法を経つつわずか五年ほどの間に、明治民法において、逆に、夫婦同姓に決定したのは、明治政府が近代化のモデルとした、キリスト教文化圏にある欧米先進諸国がファミリーネームを持っているのをまねて、ファミリーと民法上の《家》とを重層させたものと考える」(前掲書)
このようにして見ると、日本の家族制をめぐる法制度は、明治の世になって体系化されたものであることがわかります。ですから、単に夫婦の同姓というシステムが「イエ」制度と共に生じてきた、というのはあくまで「通説」なのだ、と加地教授は主張しているわけです。


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