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File-25 『国民の道徳』VS『共同幻想論』

彼らはなぜ「性」のみを切り離して考えるのか

思想新聞2001年1月15日号 シリーズQ&A 共産主義は間違っている!!

フェミニズムの仮面を被ったマルクス主義 9

即物的システムに還元

「自意識過剰が家庭崩壊生む」

Q 西部邁氏の、「家庭は社交場であり、人間が利他主義を認識するのは、家庭においてでしかない」という見解は、まことに当を得た表現と言えるでしょう。


 確かに、人間の本性は善だ悪だと言っても、それは文明の出現以来、数千年にわたって繰り返されてきた問いであるわけですからね。どちらか一方だという場合、それは論理や理性の範疇の埒(らち)外であって、むしろ宗教的価値観によらざるを得ないでしょう。
 それをここで西部邁氏は全面に出そうとするのではなく、むしろ文化などあらゆるもののトータル的な指標としての「文明」について問いを発するべきだ、「文明が必然的に家庭を破壊するものであるか否かを問え」というのです。つまり西部氏にとって、「自意識の過剰こそ家庭崩壊の元凶」だというわけです。むろん、それでは高度に発達した文明はすべて「家族解体・家庭崩壊」に至るのか、それなら宿命論ではないかという素朴な異論も出てくるでしょうけれども。

「幻想」というレトリック

Q 簡単にいうと、それはどういうことですか。

 あえて西部氏の言質を敷衍(ふえん)することを許してもらうならおそらく、教育なども含めて人間社会を構造的に家族解体・家庭崩壊へと導く危険性について、あらゆる「制度」について、西部氏は警鐘を鳴らしているのだと言えるでしょう。なぜなら、フェミニズムをはじめとしたリベラル派あるいは進歩主義者らは、「家族」を制度的・機能的、つまり皮相的にしか捉えていない、言い換えれば、愛情とか絆といった情緒的側面を切り捨てて即物的なシステムに還元してしまっているからです。つまり、制度を変えさえすれば社会は改良できると考えるわけです。
 ところが、社会改良はいくらマルクスの言うように「空想的」ではなく「科学的」になされたとしても、全く成功しなかったというのは、社会主義・共産主義の破綻によって誰の目にも明らかとなりました。となれば、本来「愛情」とは分かつことができないはずの「性愛」を、愛を切り離して「性」のみ取り扱うことが「科学的」あるいは「学問的」であるとみなしたのが、マルクス=エンゲルスであったのです。そしてフロイトも、人間心理をことごとく「性」に結びつけようとしました。
 何はともあれ、宿命論的部分はともかく、基本的には「自意識過剰こそ家庭崩壊の元凶」という西部氏の分析は、おおむね正しいと言えるのではないでしょうか。
 というのも、「自分」や「個」を主張するばかりで、「滅私奉公」など死語になっているご時世ですからね。心ある人々が警鐘を鳴らすのも当然だと言えるでしょう。

Q それで、先の吉本隆明・著『共同幻想論』に関して、夫婦や家族の絆が果たして「幻想」なのか、「クニ」という概念も本当に幻想にすぎないのかという検証が必要ということですが、どうなのでしょうか。

 彼の「幻想」という表現が誤解を招きやすく、あまりにも罪つくりではないかということを先に述べました。
「幻想」という言葉は、実体のない、空虚という意味で用いられます。一種のレトリックですね。また吉本氏の場合、「神話」という語で置き換えられるでしょう。この言葉によって「無価値」の意を含ませて、読み手を挑発しています。さらに、現時点での吉本思想の厄介な点は、マルクスの後期ではなく初期思想とフロイト主義とが分かちがたく結びつけられていることです。

敷衍(ふえん)=分かりやすく詳しく説明すること

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