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File-9 マルクスの思想的原点、疎外論

諸悪の根源は社会という責任転嫁哲学

思想新聞 2000年4月15日号

シリーズQ&A 共産主義は間違っている!!

マルクス主義を貫く「宗教トラウマ」

共産主義克服は真の宗教のみ可能

マルクス理解の「イロハ」は宗教批判

Q 日本において共産党が議席を拡大しつづける背景を考えると、どうも宗教的土壌が重要なポイントを握っているように思えてきました。以前、このシリーズにおいて、マルクスの思想を理解するための「イロハ」は宗教批判であると述べられていましたが、もう少しその点を詳しく教えてください。

 マルクスの思想的原点はなんと言っても「人間疎外論」です。 冷戦構造は終焉しソ連は崩壊しました。しかし、その後の世界的混乱(宗教や民族対立、経済危機などによる)を背景に、共産主義思想はなおいきつづけているのです。その底力は、一体どこにあるのでしょう。実はその源泉が「人間疎外論」なのです。ゆえにマルクス主義克服の最重要ポイントは、「人間疎外論」の克服と言わねばなりません。そして、宗教批判は「人間疎外論」の「イロハ」に位置づけられるのです。

19世紀西欧を疎外された社会と理解

 まず、「疎外」について、説明してみたいと思います。非常に難しそうな表現ですが、私達の日々の生活のなかでも、「疎外」という言葉はよく使われているのです。「会社の中で私だけ疎外されているようだ」とか「友達から疎外されている」など、案外気軽に使われています。
 まず、国語辞典を引いてみましょう。「よそよそしくてよせつけないこと」(三省堂現代国語辞典より)とあります。ですから「疎外されている」ということは「よそよそしくされていること」となり、「……らしく扱われていない」状態をいいます。会社から疎外されているとは、会社の一員らしく扱われていない、つまり「ある会社員らしさの喪失」です。ゆえに、人間疎外とは「人間らしさの喪失」状態を意味することになります。
 マルクスは、当時の社会(十九世紀初頭のヨーロッパ社会)を人間が人間らしさを失っている社会ととらえ、どのようにしたら人間性(人間らしさ)を回復することができるかを考えました。その集大成が「人間疎外論」であり、その理論的発展としての共産主義思想となったわけです。

「人間が神を造った」とフォイエルバッハが主張

 ところで、マルクスの「人間疎外論」の原点はヘーゲルとフォイエルバッハにあります。特にフォイエルバッハの著作『キリスト教の本質』(1841年)に極めて大きな影響を受け、発想の原型を獲得することになるのです。彼は「神が人間を造ったのではなく、人間が神を造った」と主張し、当時のキリスト教会を痛烈に批判しました。人間の本質である理性、愛、意志を絶対化して神を造り、その神によって逆に自らの理性、愛、意志が拘束されている。つまり人間の本質の喪失、人間疎外の状況が造り出されているというのです。結論として、神と宗教を否定しないかぎり、人間性の回復はないと主張したのです。


宗教エゴで戦争となる歴史だったが… 30年戦争

「予定説」で硬直したキリスト教社会

 当時のキリスト教会、特にプロテスタント(新教)は、宗教改革者カルビンらが主張した予定説(二重予定説)の影響を強く受けていました。神は絶対であり、全知全能のお方であるとの考えから、人生の幸と不幸、国家の興亡盛衰など、すべて神の予定の中にあるとしたのです。結論として、その人や民族・国家が救われるのか、それとも滅びるのかは、人間の意志・努力によって決まるものではなく、すべて神の予定(救いと滅びの二重予定)の中にあるとしました。それゆえに、富める資本家と貧困にあえぐ労働者は、すべて予定の中でのこととされ、この状況を変革する力はキリスト教会の中からは出てきませんでした。

「仕組み」の暴露と破壊が革命理論に

 この背景には、キリスト教、それも彼らが作り出した神観がありました。このような神を信じ、神にゆだねるとすれば、人間の理性・愛・意志の力はこの神観によって拘束され、この神観と敵対することになります。
 疎外状況とは、このように人間自ら生み出したものが、逆に自分に敵対するものとなることによってもたらされるというのです。  このような「仕組み」を暴露し、破壊しなければならないという「革命理論」のパターンができあがったのです。ここが極めて重要なポイントです。マルクスは、フォイエルバッハによる宗教的疎外論を政治、経済に適用しました。諸悪の根源は社会の「仕組み」とする一大責任転嫁思想の誕生です。これが宗教批判こそ、マルクスの思想の「イロハ」であるという理由なのです。

希薄な宗教理解が共産党拡大の温床に

 しかし、宗教を信じることがそのまま人間疎外(理性、愛、意志の拘束)につながるというのはあまりにも短絡的、独断的です。たしかに形骸化した宗教による弊害もありました。しかし、宗教的真理と実践が人間を新たな次元へと解放してきたという事実こそ宗教の本質です。それゆえにこそ、共産主義体制下の中でも宗教はその命脈を保ち、今日の復活があるのです。
 日本は今、戦後の伝統精神崩壊過程を背景に、近年のオウム事件などにより、そうでなくとも希薄な宗教に対する理解がいっそう揺らぎつつあります。これこそ日本共産党拡大の温床であることを知るべきなのです。「宗教」に対する再検討は日本共産党問題のみならず、教育問題など、日本の閉塞状態を克服する鍵を握っているといえるでしょう。

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