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File-7 スターリン死後 東欧民主化の芽を摘む

屍の山築くソ連社会主義の「援助」を擁護

ハンガリーへのソ連介入を美化

思想新聞 2000年3月25日号

シリーズ Q&A 共産主義は間違っている!!

特別編 欺瞞に満ちた日本共産党史(その2)

欺瞞と変節を巧みに隠蔽する共産党

Q 日本共産党の欺瞞性、変節を巧妙に隠蔽する政党である証拠となる事実を教えてください。

 日本共産党が、「ソ連共産党の巨大な害毒」として宣伝してきた内容について検討してみましょう。日本共産党はハンガリー軍事干渉(1956年)、チェコスロバキア侵略(68年)、アフガニスタン侵略(79年)などの武力行使は「科学的社会主義の理念を傷つけ、平和と社会進歩の為の闘いに大きな困難をもちこんだ」といい、「日本共産党は、ソ連による他国への覇権主義的干渉を、その都度厳しく糾弾」、チェコスロバキア侵略、アフガニスタン侵略、ポーランドへの軍事干渉等ソ連の犯罪的行為について断固として、根本的批判を行ってきた(「赤旗」91年9月8日)と宣伝しています。冷戦構造の終焉以後、必死になって旧ソ連との関係を断ち切ろうとする戦術に、それこそ「なりふりかまわず(日本共産党がよく使う表現)」出てきました。

 「時流に乗る」のが共産党流?

 ところが、日本共産党が、ソ連のハンガリー軍事干渉、チェコスロバキア侵略、アフガニスタン侵略を、今、巨大なる害悪、重大な否定的影響と決めつけるのはまったく不合理なことです。なぜなら、それらの事件が起こった時、日本共産党は決してそのようにソ連の侵略を言葉激しく批判していなかったからです。それどころか、ある時には全面的に指示し、また他の時には部分的に肯定し、さらにまた別の時には批判を控えに目にしたのです。

 イデオロギーの前に「民主化」跪かせる

 ハンガリー動乱について説明しましょう。東欧におけるソ連の衛星国の一つとして、ソ連に支配されつづけてきたハンガリーは、1956年10月、モスクワからの独立を獲得し、民主化を目指して学生、労働者、市民が立ち上がったのです。この独立と民主化を求める運動が一定の成功を勝ち得たかに思われたとき、ソ連はこれを鎮圧するために戦車3~4千両を投入したのです。これに抵抗するハンガリー人達がおれば、躊躇するところなく戦車砲を打ちまくり、キャタピラでひきつぶしていったのです。ビルの地下室に逃げ込んだ老人子供達が声を潜めて数百人固まっているところへ突入したソ連兵はマンシンガンの雨を降らせ、無惨にも屍の山を作ったのです。
 この世界を驚愕(がく)させた大事件に対して、当時、日本共産党がこれに断固糾弾したという事実はないのです。あるのは宮本顕治中央委員会幹部会員による、ソ連の軍事行動肯定論文です。
 宮本氏は「ハンガリー問題をいかに評価するか」という長大なる論文において、一言一句もソ連共産党を糾弾も批判もしておらず、逆にそれはハンガリー人民の利益と平和と主権のために行われたのだというのです。以下、関連する論文や声明をあげてみましょう。
「ハンガリー事件は外部の帝国主義勢力のハンガリー撹乱政策と結びついた計画的な武装蜂起で『ソヴィエト軍隊の出動は、いずれもハンガリー政府の要請に基づき両国主権の合意としてワルシャワ条約の精神にたって、平和と安全の保障のためにハンガリー人民の真の民族的利益と平和的労働、主権擁護のために行われたのであります。』」(「前衛」1957年2月号)

プラハの春
1968年、チェコスロバキアの「プラハの春」もソ連軍に武力鎮圧された

 ハンガリー事件で「援助」とソ連評価

 12年後、チェコスロバキア問題がおきますが、その内容については後に論ずるとして、そのときの声明や論文にもハンガリー事件が言及されていますので、紹介しておきます。
「ソ連軍がカダル同志を首班とする労農革命政府の要請に応じて社会主義ハンガリーを守るために国際的援助を行った際、わが党はその援助に連帯の意思を表明した」(「チェコスロバキア問題にかんする中央委員会幹部会声明」1968年8月24日)

ハンガリー事件
1956年、民主化を叫ぶハンガリーの市民をソ連軍の戦車が容赦なく鎮圧したハンガリー事件
「あのときのソ連の国際的な援助がハンガリー社会主義をしっかりと守る上で重要な役割を果たしたということを、すでに論議の予知なく示したと思います」(上田耕一郎「前衛」68年10月号)
 今では共産党が「歴史的巨悪・ソ連」とののしる旧ソ連。ですが、そのときは「社会主義を擁護する正義の味方」だったのです。まさに、おそるべき変節と言えるでしょう。

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