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File-3 唯物論の陳腐さを立証する現代科学

思想新聞 2000年2月15日号

シリーズ Q&A 共産主義は間違っている!!

本体論を回避したレーニン

科学者自ら「偉大な存在」示唆

Q 日本共産党は、自然科学の発展、とくに20世紀後半の発展の各々が、すべてマルクス唯物論や弁証法の証明になっていると見なすようですが…。
 1月1日付の、「赤旗」において不破哲三委員長は唯物論について次のように述べています。
「例えば、唯物論の問題でいいますと、生命と精神の問題は、観念論の最後の拠り所で、いくら科学だといっても、生命と精神を唯物論で解明することはできないだろうといわれたこともありました。しかし、今では、生命現象の根底にDNAという物質がある、そこでの物質(核酸)の配列が、あらゆる生命現象を左右するということは、今ではほとんど常識になっていますね。生命科学にはあまりくわしくない人でも、DNAといえばすぐわかるところまできている。つまり、生命というものを、物質の運動として研究し、理解する地盤がこれだけ発展してきている、ということです」

現代科学への無知

 驚くべき単純思考です。そして現代科学の成果に対する無知ゆえの言葉といわざるを得ません。ここでまず、マルクス主義の唯物論の特徴について説明し、その後に不破氏の発言を批判してみようと思います。
 マルクスとエンゲルスは、18世紀のフランス唯物論と、フォイエルバッハの唯物論と、ヘーゲルの弁証法から弁証法的唯物論をつくり、物質を「運動する物質」としてとらえました。そして、その当時の科学的物質観にしたがって、物質はそれ以上分割されない最小の粒子からなっていると考えていたのです。ところが20世紀初頭における、自然科学の物質概念の急激な変化に従って、マルクス主義の物質観もかわらざるをえなくなりました。
 そこでレーニンは、自然科学的物質観が変化しても変わらない哲学的物質観の確立を試みて、次のように独断的に定義したのです。
「物質とは、人間にその感覚において与えられており、我々の感覚から独立して存在しながら、我々の感覚によって模写され、撮影され、反映される客観的実在をいいあらわすための哲学的カテゴリーである」(『唯物論と経験批判論』)。
 ところが、このレーニンの物質の概念規定は、物質観に関する問題を解決したわけではなく、問題を回避したにすぎないのです。物質観における問題とは、宇宙の根源は精神か物質か、物質とは何か、という存在論の問題、宇宙の本体は何かという本体論の問題でもあるのです。しかしレーニンはその問題に対して、科学の成果を踏まえた上での存在論、本体論的論証をしないで、物質とは「われわれの意識の外に存在する客観的実在」であると、認識論的に、物質が認識の対象として客観的に実在することを主張して、逃げたのです。自分達にとって都合の悪い状況が生まれてくると「表現」を変えるという癖はもともとあったのです。

科学と精神的実在

 ここで本体論的立場に立ちながら、不破氏が唯物論を証明するために例に挙げたDNAについて、専門家の考え方に耳を傾けてみましょう。日本のDNA研究の第一人者・村上和雄博士(筑波大学名誉教授)の著書『生命の暗号』から引用してみましょう。
「人間は約60兆という莫大な数の細胞からなり立っています。その細胞の中の核にある遺伝子には、約30億という莫大な量の情報が入っているのです。」
「遺伝子がいかに小さいかということです。人の遺伝子暗号には約30億の化学の文字であらわされる情報が1グラムの2千億分の1、幅が1ミリの50万分の1という超微小のテープに書き込まれています。このテープの微小さを実感して頂くために、例え話をつかって説明しますと、1グラムの2千億分の1の重さということは、現在の地球人口60億人分のDNAを集めてきても米粒一粒の重さにしかなりません」
「実際に遺伝子の世界は、触れれば触れるほどすごいと感じています。目に見えない小さな細胞。その中の核という部分に収められている遺伝子には、たった4つの化学の文字の組みあわせであらわされる30億もの膨大な情報が書かれている。その文字もAとT、CとGというふうに、きれいに対をなしている。この情報によって私たちは生かされているのです。しかも人間だけではない。地球上に存在するあらゆる生き物――カビなどの微生物から植物、動物、人間まで含めると、少なく見積もっても2百万種、多く見積もると2千万種といわれている――これら全てが同じ遺伝子暗号によって生かされている。こんなことがあっていいものか。しかし現実にあるのですから、否定のしようがありません。そうなると、どうしても《サムシング・グレート》のような存在を想定しないわけにはいかなくなります」
 如何ですか。20世紀後半の自然科学の脅威的な発達は、唯物論を証明するどころか、物質的世界の背後(その原因として)に、すなわち本体としての精神的実在、村上博士が「サムシング・グレート(何か偉大な存在)」と表現した「存在」(天、神ともいえるでしょう)を考えざるを得なくさせているのです。その意味において、20世紀の自然科学の驚異的な発達は唯物論を陳腐な理論として斥けつつあると言えるのです。

精神を脳に帰す愚

Q 人間の精神活動を脳の活動として解明できるとしていますが…。

 不破委員長は、「赤旗」(1月1日付)紙上で、さらに次のように述べています。「人間の精神活動についても同じですね。脳についての科学の最近の発展も、たいへんなものです。NHKテレビの特集なども良くありますが、人間の精神の働きを、脳という、神経細胞のネットワークの活動として解明する、これも将来にむけた仕事はまだまだ多いけれども人間の精神が脳という物質の活動にあるということ自体に、疑いをさしはさむ人はほとんどいなくなってきていますよね」
 共産主義者はさらに、脳が傷つけば精神に異常をきたし、破壊されれば精神が発生できないことからも精神の働きは脳という物質の活動にあると主張しているのです。
 これも「単純思考と思い入れ」の非科学的考え方であり、唯物論の証明には全くなっておりません。といいますのは、人の脳をラジオにたとえてみましょう。その場合、精神作用(意識)をラジオから出る声(話し声)にたとえるとすれば、それはラジオそのものから発生するのではなく、外部(放送局)からの電波がラジオによって音波に変わったものです。ラジオは電波を音波に切り替える装置であって、音声の発生装置ではないのです。
 それと同じように、人間の精神作用(意識)も、電波にたとえられる「心」が脳を媒介として現れたものであるとも考えられるわけです。人間の精神活動が脳という物質の活動にあると断言するのは、まさに非科学的です。科学の発達は唯物論の陳腐さを立証しつつあるといえるでしょう。

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