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File-5 革命理論としての唯物論は「悪魔の陥穽」

思想新聞 2000年3月5日号

シリーズ Q&A共産主義は間違っている!!

「神なきヒューマニズム」マルクス主義

無神論的「良心」が虐殺と弾圧を正当化

Q 共産党は、共産主義こそ真の人間解放、平等、自由、平和実現の思想であるとくり返しながら、現実は1億人以上の革命の犠牲者を産み出しました。その悲劇をもたらした根本原因はどこにあるのでしょうか。

 一言でいえば、無神論的唯物論がもたらした悲劇なのです。共産主義思想の何が間違っているかというと、まず第一に、無神論であることです。20世紀の代表的知性の一人であり、《無神論の立場》のバートランド・ラッセルは、人間の抱く価値観とは,論理的には「かき(牡蛎)の好き嫌いと同じ種類の問題」にすぎないと結論づけています(『宗教と科学』)。
バートランド・ラッセル
バートランド・ラッセル
 つまり、何が善で何が悪かという道徳的問題は、要するに牛肉が好きか、魚が嫌いか、といった性質の問題とおなじだというのです。これが現代の無神論の立場の代表的知性が到達した結論です。さらに彼は主張しました。「なぜ同胞に対して残虐行為をなすことが悪いのか、これについて、いかなる科学的理由も与えることはできないのだ。それが悪いことだ、と私は思うし、かなり多数の人々が同じように考えるだろう。しかし、なぜ残虐行為が悪いかについて十分な理由を示しうるという確信は、私にはない」(『西欧の知恵』)と。
 ドストエフスキーは「もし神がいなければ全てが許される」、「神を見失った良心ほど恐ろしいものはない」と警告しましたが、それはラッセルの結論と重なります。

神を失った良心の実態

 ここで、「神を見失った良心」という表現を考えてみましょう。平和、自由、平等、搾取のない、人間が人間らしく生活することのできる社会の実現を共産主義者は主張しますが、まさに「良心」的理想です。しかし唯物論の立場、人間中心の立場に立つ限りにおいて、それは「神を見失った良心」の理想となるのです。
 共産主義によれば、歴史的必然としての社会主義社会、共産主義社会を実現することが善であると明言します。そして、その為にはいかなる手段も、それがたとえ大量殺戮を生む暴力であったとしても選択肢からはずすべきではないというのです。それが共産主義的良心(代表者としてマルクス、レーニン、スターリン、毛沢東、金日成、ポル・ポトらが挙げられる)の主張となるのです。

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『悪霊』で無神論とニヒリズムがもたらす恐るべき人間観を描いたドストエフスキー(1821~81)
 ドストエフスキーは、作品『悪霊』の中で、ニヒリズムに憑かれた革命家ピョートル・ヴェルホーヴェンスキーを描いています。彼の言葉と行動は、まさに共産主義的良心、無神論的良心のあり様と、行動を予言しているといえるでしょう。ピョートルは作品中で次のように述べています。
「破壊は早ければ早いほどいい。血は一刻も早く流さなければならない。流血が必要だ。改良主義は滅んでいくものに一時の間、命を長引かせるにすぎない。今生きている人間が貧しくなればなるほど、共産主義という楽園が早く到来する。苦しみ、混乱、血、悪が多ければ多いほどよくなる」

人権の観念の根拠

 勝田吉太郎氏(京都大学名誉教授〔現鈴鹿大学学長〕・政治思想史)もまた、無神論がいかに人間の尊厳を損なう結果を生み出すのかを強調しています。


フリードリヒ・ニーチェ
「ニイチェが神の死を宣告したのは1世紀も前のことであった。『いまや、神は存在しないというのが増大していく大衆の叫びとなった。それとともに人間は無価値となりはて、人間が何でもないものである以上、幾人でも意のままに殺戮されてもよいことになる』――こうヤスパースが『現代の精神状況』で予言したのは『ニヒリズム革命』と評されたナチズム登場以前のことである。 

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カール・ヤスパース

だが、ヤスパースよりも前、ほぼ300年も以前に、はやくもパスカルは、神なしには人間は人間にとって『怪物』となり、生の意味も死の意味もわからない『混沌』となる、と書いている」(『宗教心と教育』)


ブレーズ・パスカル

 神なき良心、無神論的良心の恐ろしさは、善の実現の為に悪を除くことが、そのまま「人間」を抹殺しても許されるという判断につながりかねないところにあるのです。そして、それがなぜ不可避的な「善行」であったかの理由づけなど、いとも簡単にできてしまうのです。それゆえに、「今日我々に必要不可欠なこと、それは人格の尊厳という観念が、人間を越える大いなる存在をまって初めて成立することを沈思することでなければならない」。「実際のところ、神の似姿とか仏性とかいった人間を超える超越者の影という形而上学的な理念がなければ、どうして人間尊重とか基本的人権という観念が成り立つであろうか」(勝田吉太郎『宗教心と教育』)と、強く強く訴えなければならないのです。

プロレタリア独裁の欺瞞

 マルクスの社会主義=共産主義こそは、『神なきヒューマニズム』の最終到達点にほかなりません。共産主義者の訴えは、人間の疎外を終わらせるため(人間が人間らしく生きることを可能にするため)に行動しようというものです。誰も異を唱えることのできない、極めて「良心的」主張です。問題はその目的達成の為に人民全体ではなく、選ばれた階級の実質的主権を認めていることです。それは人間の疎外を終わらせ、人類に道徳的更正をもたらすと主張されるプロレタリアート(労働者階級)にほかなりません。
 しかも、選ばれた階級=プロレタリアートの理念を護持し、実現する使命は、さらに少数の筋がね入りの革命的知識人、職業的革命家集団、すなわち「前衛党」としての共産党にあるというのです。「善」の為に「悪」を排除しようとする無神論的良心が、一部革命家・共産党によって代表される時、抑圧・弾圧・虐殺などの非人間化過程は最大となります。それゆえに共産主義は、良心的に装飾された「最悪の思想」であるといわざるをえないのです。

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