オトナ社会の無責任化が青少年に悪影響
思想新聞2001年10月15日シリーズQ&A 共産主義は間違っている!!
フェミニズムの仮面を被ったマルクス主義 27
「家族の絆」を忌み嫌う世相
子供が姓を選べるからいい?
Q 前回は、森山真弓法相の「選択的夫婦別姓」の法制化についての問題に触れました。森山法相の発言は、メールマガジンという特定のメディアだとは言え、公人の発言であり、決して軽視はできません。そして、そこでは夫婦から生まれてくる「子の立場」がないがしろにされているという指摘は、全くその通りだと思います。
しかしながら、このことは夫婦別姓論者たちに言わせれば、「子供が自由に姓を選べる権利」がある、だからむしろいいことじゃないか、という論理になりますが…。
A 確かに、そのような反論がありますが、それがまさに、以前ふれたところの八木秀次・高崎経済大助教授の指摘する「ライフスタイル自己決定論」になるわけです。八木助教授は、この論理がいわゆる「人権」思想の最悪の結実とも見ているわけです。どうしてでしょうか。
おのれに都合のいい時だけ「権利」を要求し振りかざすが、それに付帯する「責任」「義務」は全くと言っていいほど顧慮されないのです。それはまさに現在の日本国憲法に通底する思想であり、昨今の高級官僚の不祥事などをはじめとして露わになってきたとも言えますが、国家のシステム全体を覆っているようにも思われるのです。
昨今、少年犯罪の凶悪化が突出して叫ばれますが、その土壌となっているのはむしろ、「オトナ」が子供に対して「責任」を負わなくなった、「オトナ社会の無責任化」なのではないでしょうか。
いまさら言うまでもないことですが、人間は生まれる時には、「自分の意志」というものは介在できません。では生まれたからといって、自分の意思を主張できるでしょうか。親の保護・庇護がなければ生きて成長していくこともままならないのです。
世の流れは家族解体に向かう?
では、そのような庇護を受けるべき子供に「自己決定しろ」というのは、水も食糧もない砂漠の中をたった一人で生きろ、と言っているのにも等しい「鬼のような所業」とは言えないでしょうか。
もちろん、子供には自立の機会も必要です。しかしそれは、おのれというものを自覚し、確立していく過程の中で自然に行われるのではないでしょうか。もちろんそこには、「子離れ」のできない親がいることも事実でしょう。けれどもそれをもってして、なべて「親が子供に干渉する」ことが忌むべき「悪」のように決めつけるのが、家族解体論者や夫婦別姓論者のように思われます。家族間の「絆」というのは、果たして解き放たれるべき「しがらみ」にすぎないのでしょうか。
ところで、森山法相は「一人っ子同士だから、結婚してもどちらの姓を名乗ったらいいか困る」という例を挙げていますが、しかし、核家族化が行き着くところまできた感のある現在、若いカップルがほとんど親とは住まなくなっています。これまた「ライフスタイル自己決定権」の好例かもしれません。しかし、この事象一つを見ても、家族解体論者の主張するような「世の流れ」になっている、とも言えます。これはすでに、勝利は彼らの掌中にあるようにも見えます。
親から干渉されない自由な雰囲気の家庭をつくりたい、と結婚して思ったとします。しかし、そこには親と同居して得られるべき豊かな「伝統」は諦めなければなりません。その象徴を実は加地伸行阪大名誉教授は「家庭の斎場としての仏壇」に見ているようです。


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