【思想新聞2004年5月1日号】勝共理論 マルクス人間疎外論 8
マルクスは『共産党宣言』を1847年12月から翌48年1月にかけてブッリュッセルで大急ぎで書き上げ、ロンドンで印刷しました。8つ折版30頁。それは「一個の妖怪…」で始まり「万国のプロレタリア団結せよ!」で結ぶ、まさに檄文です。ここにマルクスの思想の骨格が集大成されています。
それは第一に歴史を「階級闘争の歴史」と規定したこと、第二に共産主義者の目的はプロレタリア階級による「政治権力の奪取」にあること、第三にその理論が「私有財産の廃止」に要約できること、そして第四に「いっさいの社会秩序を暴力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成させることを公然と宣言」したことです。
当時の欧州には不満が発酵状態にあり、革命の嵐が四八年初めから欧州全土に吹き荒れました。1月3日にイタリアのミラノでオーストリアの支配に抗議する「煙草暴動」が起こったのを皮切りに、パリでは二月革命、ドイツでは三月革命が勃発したのです。
マルクスは「時」を感じてパリ、そして後にケルンに入り『共産党宣言』路線を煽ります。しかし、革命はマルクスが考えていたプロレタリア階級によるものでは決してありませんでした。
たとえば、ミラノやヴェネチアのそれはイタリアの統一独立運動を求めるものでしたし、フランスの場合は財産にもとづく制限選挙制度の改革を求める「改革宴会」運動が発火点でした。ドイツはオーストリアのハプスブルク家支配からの自由とドイツ統一の願望からのものです。それらはプロレタリアが団結した階級闘争とは根本的に違っていたのです。
マルクスはケルンで『新ライン新聞』を発刊しプロレタリア革命を目指します。ケルン地方には確かに新興ブルジョアジーが登場し労働者も少なくありませんでした。しかし鉄道建設など都市インフラづくりにはユンカー(地主貴族)が支援し、零細土地所有農民も多くおり、彼らは必ずしも対立していたわけではなかったのです。
むしろ、マルクスは市民から「危険分子」として警戒され、ついに49年5月、無国籍者として(四五年に放棄)、国外追
放処分を受けました。こうして四八年革命は挫折、マルクスはロンドンに亡命します。
『共産党宣言』の骨子
●冒頭の一節
「一個の妖怪がヨーロッパに徘徊している。共産主義という妖怪が」

●本文の特徴
「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」
「共産主義の目的は……プロレタリア階級による政治権力の奪取である」
「共産主義者は、その理論を、私有財産の廃止という一つの言葉に要約することができる」
共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を暴力的に転覆することにのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する」
●最末尾の一節
「支配階級をして共産主義革命のまえに戦慄せしめよ。プロレタリアは鎖よりほかに失うべき何物ももたない。そして彼らは、かちとるべき全世界をもっている。 万国のプロレタリア団結せよ!」


コメント