この記事は2011年3月9日に投稿されました。
最高検は特捜部の取り調べの一部を録音・録画する「可視化」を3月から試行的に始めている。郵便不正事件を巡って大阪地検特捜部の強引な供述調書作りなどの不祥事が明るみになり、現職の特捜検事が逮捕され特捜部批判が噴出した。これを受けて一部可視化を行うもので、検察官が容疑者の自白の「任意性」と「信用性」を公判で立証する必要があると認めた場合などに限る。これに対して日弁連や民主党内からは検察のみならず警察も含めて「取り調べ室の全面可視化」を要求する声が出されている。だが、可視化の全面導入には問題がある。刑事司法は治安を守ることを第一義に考慮されなければならない。可視化だけに捉われず、捜査手法の全体を洗い直すべきである。
村木厚子さん事件を契機に全面可視化の要求が出る
郵政料金の不正事件で虚偽有印公文書作成罪などに問われた村木厚子・元厚生労働省局長に大阪地裁は2010年9月、無罪判決を下した。判決は大阪地検特捜部の描いた「犯罪の構図」をことごとく否定し、捜査のずさんさを浮き彫りにした。これによって「検察の正義」が大きく揺らいだ。さらにその後、担当主任検事や上司の特捜部長と特捜副部長が逮捕されるに至り、特捜の信頼は地に落ちた。特捜は一般的な刑事事件が警察の捜査で進められるのとは違って、独自の捜査権限を持ち、これまで政治家の汚職や経済犯罪など「巨悪」を摘発してきた。「検察の正義」を体現してきた組織と言ってよい。特にトカゲのシッポ切りに終わり「巨悪」を逃がしがちな大規模事件において、特捜は「犯罪の構図」を描き、困難な捜査を克服し、実績を挙げてきた経緯がある。こうした「構図」はあくまでも事実を追い求め、証拠固めを行うためのもので、新たな事実が分かれば「構図」も変化するのはいうまでもない。それが捜査の鉄則とされるが、同事件では「構図」を絶対視し、「立件ありき」で供述をでっち上げる犯罪まで行い、冤罪まで起こした。
一方、警察においても密室の取調室を舞台に冤罪事件を引き起こしてきた。鹿児島県議選を巡る公選法違反捜査では「踏み字」によって自白が強要され、富山県氷見市の婦女暴行事件では有罪となった男性の服役後に真犯人が判明した。2009年には足利事件のような驚愕する冤罪事件も発覚した。こうした失態を受け警察庁は2010年、取調べの適正化指針を定め、現在は供述調書を読み聞かせて確認する場面など一部でDVD録画を実施している。また監察官が透視鏡で外から取調室をチェックしたりするシステムも導入している。しかし、日弁連や民主党はあくまでも取り調べの全過程の録音・録画を義務づけるべきと主張しているのである。
「自白」は「悔悟の情」を引き出すためでもある
民主党は被疑者の取り調べの全過程を録音・録画する全面可視化をマニフェスト(政権公約)にうたい、日弁連も全面可視化を要求しているが、全面可視化が冤罪防止に役立つとは限らない。逆に全面可視化による「見える取り調べ」に問題が生じかねない。容疑者が最初から容疑を認めるとは限らず、むしろ否認するケースが多く、そうした容疑者が公表される可能性のある録画を意識し、口をつぐんで真実を語らなくなる可能性がある。取調官もプライバシーを語れず、また1対1で心を通わせることもできず、とりわけ暴力団関連事件など組織犯罪では報復を恐れて自供が激減しかねない。安易に全面可視化すれば、治安が悪化しかねないのである。こうした危惧の声が捜査関係者から出されているのは、取調官が容疑者と1対1で心を通わせ、反省や悔悟の気持ちを抱かせ自供に至らせて事件の全容解明したケースが少なくないからだ。実際、そうして解決した凶悪事件も多い。最近では地下鉄サリン事件の林郁夫服役囚(無期懲役)がそのケースである。
取調室で「自白」を求めることがまるで悪のように言われるが、それは一面的な見方である。取調官が自白を求めるのは真実を追求し事件を解決しようとするのはいうまでもないが、容疑者に罪と向き合わせ「悔悟の情」を引き出して、更生への意欲を抱かせたいからでもある。犯罪者・加害者に刑罰を与えるだけでなく悔悟の情を持たせ、罪を償って更生させる。それは刑事司法の大きな役割である。仮釈放の要件の一つに「悔悟の情および改善更生の意欲」としているのは当然のことだろう。旧憲法下では被疑者は真実を供述する義務があるとされていた。これが明治以来の刑事司法の伝統であることを想起しておくべきである。
可視化ではなく捜査手法の全体的見直しこそ必要
米国の場合、憲法に「自己負罪拒否の特権」(黙秘権)を明記し、「黙秘権の放棄」が「刑事免責」や「刑罰の軽減」との間で取り引きされてきた。現行憲法はそれを踏襲し38条に黙秘権を規定したが、司法取引制度まで取り入れかなった。それは「恥を知る伝統」がある日本人に馴染まないと考えたからである。悪を犯しながら、自白も反省もしないのに、取り引きして供述を引き出す。これは人間として何とも恥さらしなことである。だから、あくまでも自白を求めて供述中心主義となった。こうした基本姿勢はけっして批判されるべきものではない。
もちろん現在、その弊害が冤罪を招いている側面はもちろん否定できない。加えて昨今の日本は「恥を知らない社会」となった感がしないでもない。それで供述中心主義から転換するなら、取り調べ室での可視化の前にまず物証をそろえる体制作りが不可欠となるはずである。強力な捜査手法を採用し、通信傍受(盗聴)や架空の身分での捜査官の潜入捜査、おとり捜査を幅広く認め、司法取引や刑事免責も採用する必要がある。可視化を行っている国はいずれもこうした手法を導入している。
凶悪犯の時効撤廃でも証拠収集が重要になっている。毎年数十件の凶悪事件が「お宮入り」する現状を改善するには初動段階での証拠収集に万全の体制が必要となるからだ。死因究明が事件解明の近道とされるが、解剖医の不足から司法解剖が十分になされていない。時効撤廃に当たっても一部メディアは、事件から長期間が過ぎると証拠が散逸するので取り調べ過程でウソの「自供」を強要し冤罪が起こりやすくなるとして、取り調べの全過程の録音・録画を義務づける全面可視化を主張した。これは筋違いである。単純な全面可視化導入は逆に捜査に支障をきたし、「犯罪者天国」に陥る可能性がある。可視化は刑事司法の全体像の中で検討しなければ意味がない。可視化だけを独り歩きさせてはならない。
2011年3月9日


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