国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 最新の主張はこちらから

File-88 「パトス」という心の問題の臨界

思想新聞2003年10月1日号 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 42

科学的社会主義の名の下にとぐろまく情念

必要な批判的吟味

Q 中村雄二郎氏の主張する「パトスの知」などというと、一種の形容矛盾のように聞こえますが…。それに残念ながら、人を感動せしめて、なにがしかのものを生み出すに際しては、いわゆるプラスの意味での「愛」とか「感動」ばかりではないのではないでしょうか。

 はい。たしかに人をして動かし駆り立てるものには、確かにプラスばかりではないでしょう。
 逆に「愛の欠如」も「怨恨感情」という強烈な動機となりえる、その点が問題です。マルクス主義もつまるところ、疎外論の構築において根底に「(家庭環境や神への)怨恨」が暗い影を落としていることは、言うまでもありません。
「科学的社会主義」の化けの皮の下には、どす黒い情念がとぐろを巻いていたというわけです。こうした思想が「論理」の枠に決して収まりきれずに、その根底に存する情念のメカニズムを看破したカール・ポパーは、マルクス主義やフロイト主義を「疑似科学」と称したのです。
 そうした暗い思想を生み出す情念は確かに、敵対意識を煽り、外敵からの防衛本能をむき出しにした「獣性」のたぐいにほかならないと言えるでしょう。
 そしてまた、元来はギリシア文献学者だったニーチェも、『悲劇の誕生』の中で、ギリシア神話のアポロン(調和的芸術の神)よりもむしろディオニュソス(酩酊と祝祭の神)の方に芸術の本質を見たように、ギリシア悲劇に「精神の粋」を見たと言えます。ここに実は、「知」「理性的秩序」よりも「情」「感性的耽溺」への重視・傾倒があります。だからこそ、「反理性主義」「反形而上学」「反近代・反西欧」を掲げるフランス現代思想では、フロイトと共に、ニーチェの思想を重要視しているのです。

「パトス」に含まれる多様な意味

 ところで「パトス」に関連してですが、ちなみに英語の「ペーソス」は、むしろ「哀れ」「悲痛」の意味が色濃く残っており、「キリストの受難」という場合の「受難」を意味する「パッション」と同系語です。
 この「パトス」という言葉は、単なる「感性」という枠内にとどまらないと考えた方がいいでしょう。とりわけ「受難」という意味が加わってくると、「衝撃」とか「感動」というニュアンスもあるのではないでしょうか。日本語の「あはれ」も、元来の古語ではものごとに感動することに用いられました。
 ですから、「パトスの知」というのは、形容矛盾とは言えないのではないでしょうか。心情的な動機と情熱をもとに、様々な「知」が生みだされ展開されていくのではないでしょうか。
 かといって、では「パトス」がフロイトの言う社会生活で抑圧された「リビドー」のようなものにすぎない、とも言えません。
 なぜなら、もしそうなら万人が精神的に抑圧され、そこから解放されねばならない、というイデオロギーに支配されてしまうはずだからです。
 そして世界でほとんど大多数の人々が何らかの宗教的信仰を持つという事実に対して、「ヒステリー性疾患」という言明がいかに的はずれであるかを、考慮しなければならないでしょう。
 例えば、「記号論」の祖であるソシュールにおいて言語を、言語一般としての「ラング」と語られる言葉としての「パロール」とを区別したり、現象学でフッサールが人間の意識を「ノエシス」と「ノエマ」と区別したように、人間の「心」にも、「知情意」(ロゴス・パトス・エトス)という区分ではない別の構造があるのではないか、ということです。
 心の問題にメスを入れたフロイトですが、フッサールに始まる現象学という思想的潮流も、そもそも「心の問題」を通じ、心理学の限界の中から生まれてきたのです。
 とは言え、もちろん人間は理性や知性だけでは日常を生きられません。
 だからこそ、かつてカントが「批判哲学」を打ち立て、「形而上学」に対して新たな生命を吹き込んだように、「理性」にも「パトス」(感性)にも、いま一度さらなる批判的吟味が加えられねばならないでしょう。そうすればもっと、「神」や「霊魂不滅」などの形而上学的主題が新たな意味を生じてくるはずです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました