思想新聞2002年5月1日【主張】
今国会で必ず成立させよ
政府は4月17日に有事法制関連三法案を国会に提出した。戦後半世紀以上を経て、ようやくの有事法制である。三法案だけでは有事態勢が盤石とはいえないが、わが国の平和と安全を守るうえで三法案はなくてはならない法律である。今国会で必ず成立させなければならない。
三法案批判はいずれも愚論
三法案は武力攻撃事態法案と自衛隊法、安全保障会議設置法の両改正案の三つである。新たな立法となる武力攻撃事態法案は、実際に武力攻撃が発生あるいは攻撃が予測される事態への対処について基本理念や国、地方公共団体等の責務、国民の協力などを定めたものだ。自衛隊法改正案は自衛隊の活動を円滑に行うために道路法や建築基準法など計20の国内法の適用除外措置を明記。また安保会議設置法改正案は同会議の下部組織に専門委員会を新設し安保会議の助言を経て首相に対処基本方針を答申する規定を設けた。
このような有事三法案に対してまず言えることは、本来ならばとっくの昔に整備されていなければならない性格のものであるということだ。憲法は九条問題をもってしても自衛権を否定していない。自衛権は国の固有の権利として保持しているのであり、これは国連憲章も認めているところだ。とすれば、自衛権をどう発揮して国民の生命と財産を守るのか、その方策を決めておくのは国の最も初歩的な責務であるはずだ。
それをいったい何年怠ってきたのか。1963年の「三矢研究」では自衛隊員が研究しただけでまるでクーデターを起こすかのような批判を受けて処分を受け、正式に研究に着手したのが77年の福田内閣の時である。それから四半世紀を経て、ようやく法案が国会に上程された。なんという遅さか。これだけを考えても今国会での成立は絶対に果たさねばならないことがわかろう。
マスコミの中には「大規模な攻撃を受けるようなご時世ではない。三法案は冷戦時代の遺物だ」といった批判があるが、こうした批判はまったく当たらない。有事への備えは人災であろうと天災であろうと最悪の事態を予測して準備するのが常道である。最悪の事態への備えがあれば、それ以下の事態に対して容易に対応できるのは言うまでもないことだ。
それに「大規模の攻撃」は本当にあり得ないことだろうか。最悪の事態への想像力の欠如が先の同時多発テロ事件の被害を拡大したと指摘されているが、「大規模な攻撃」が皆無だと断定することはきわめて危険である。それどころか冷戦構造が温存されている北東アジア情勢を鑑みれば、むしろ「大規模な攻撃」を念頭においた有事態勢づくりが不可欠であろう。
また批判の中には「テロや不審船に対応することこそ急がれるのに、それを除外した有事法制は意味がない」というのもある。たしかに今回の三法案にはテロや不審船対策が欠落しており、今後に課題を残している。しかし、緊急事態への対応を考えれば、まずその幹となる有事=武力攻撃への対処策を確立しておき、そのうえで枝となり葉となるテロや不審船対策を作り上げていくほうが正しい順序である。
仮にテロや不審船が小規模攻撃にとどまらずに大規模化した場合に右往左往するようなことがあれば、それこそ国民の生命と財産は守れない。逆の場合のほうが被害を最小限にくい止めることができる。
批判の中には「憲法には首相の非常権限を想定していないのに武力攻撃事態法案にそれがあるのは問題だ」というのもある。馬鹿げた批判だ。憲法13条には国民の生命、自由及び幸福追求に対する権利を立法その他の国政で最大に尊重しなければならないとある。生命・自由が奪われる事態が有事であり、これを守るために首相が非常権限を持つのは憲法精神に合致している。憲法に非常権限条項がないのが異常であり、これを批判すべきである。
また批判の中には「国民の協力を義務づけたり、私権を制限するのは基本的人権に反する」といったものもある。これも噴飯ものの批判である。こうした批判者は有事すなわち他国からの武力攻撃によって国民が受ける人権侵害の実態を考えていないのかと問いたい。武力攻撃事態法案には非協力に対する罰則規定すらないが、武力攻撃では死傷や財産破壊など想像を絶する人権侵害が予測されるのだ。
国民保護の法制を後回しにしたのは許しがたいとの批判もある。たしかに同時的に成立させたほうがよいが、有事法制が皆無である現状ではまずは幹、骨となる法案を成立させることが先決である。政府は2年以内に保護法制を成立させるとしており、後回しを批判する人々は批判に終わらず早急に法制化できるように協力すればよいではないか。
とまれ三法案は今国会で是が非でも成立させねばならない。


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