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有事研究20年来の好機

思想新聞2002年8月15日号【視点論点】

有事法制をなぜ放置したか

軍事評論家 竹田五郎氏

 小泉内閣で有事法制が初めて国会で論議されるようになり大きな一歩を踏み出した。
 有事法制研究は、昭和38年の「三矢研究」に始まる。52年に福田赳夫首相が三原朝雄防衛庁長官に有事法制研究を命じた。53年に栗栖弘臣統幕議長の「自衛隊は現行の法律では奇襲に対応できず、超法規的行動を取らざるを得ない」との発言が週刊誌に掲載、有事法制論議が高まった。時の金丸信防衛庁長官は統幕議長を解職、それから20年以上たっている。
「なぜ今有事法制か」と反対派は言うが、私は「なぜ今まで放置していたのか」と言いたい。先日、中谷元・防衛庁長官が訪韓した折、韓国高官から「今まで自衛隊は何を根拠にして行動するつもりだったのか」と皮肉を言われた。そんなことを言われるのは日本の恥だ。
 自衛隊にとり有事法制がないのは、有事にシビリアン・コントロールが利かないことを意味する。シビリアン・コントロールに口やかましい人々が有事法制に反対し、結果的に自衛隊が超法規的に行動せざるを得なくしているのは大きな矛盾である。
 現状では有事に自衛隊が動けないのは、阪神大震災の救援出動でも明らかだ。戦争状態になると個人の権利がある程度制限されるのは仕方がないが、土地を取られる、家屋を壊されるという話だけが大きく打ち出されると、反発が強まる。しかし、日本が戦場になることを想定すれば、ある程度は我慢すべきであろう。しかも、我が国が平和を望んでも相手が戦争を仕掛けてくることもある。
 かつて社会党が非武装中立を叫んでいた時代ならまだしも、今は大半が自衛隊を認め、日米安保体制を重視するようになった。法治国家は当然、有事法制が必要である。これまでが異常で、これは政治の怠慢だと言える。
 日本は専守防衛を国是にしているので、武力攻撃事態になれば日本の国土が戦場になる。そうなると国民は自分たちの生命・財産を保護するために、自分たちで努力しなければならないのは当然のことである。つまり民間防衛が必要になる。警報発出、避難誘導、救助、物資配給などについて国は施策を講じなければならない。そのためには国民の権利をある程度制限せざるを得ない。テロを防ぐために、飛行機の搭乗者チェックを厳しくするのと同じである。
 もし戦争になると、国民も国を守るという意欲を持たないと、自衛隊だけで国を守ることはできない。自衛隊は防衛作戦に全力を挙げ、国民保護は自治体や民間が担当することになる。民間防衛はジュネーブ条約とその追加議定書にも明記されているように、武器を持って戦うことではない。
 国の防衛に対するルーズな姿勢が、中国・瀋陽の日本総領事館への中国武装警官の不法侵入事件にも影響しているのではないか。領事館という我が国の権益の中にいながら、そうした緊張感が感じられない。事を荒立てず、とにかく穏便に収めたいという印象である。領域を侵された場合には、厳しく毅然と対応しなければならない。
 これからの課題は、防衛出動発令前の交戦規定、特に武器の使用手順の制定と、集団的自衛権は行使できないとする憲法解釈を変えることだ。今の憲法解釈を守ると、防衛出動待機命令では、武器の使用は個人の正当防衛、緊急避難の枠の中である。防衛出動が発令されて初めて武力行使ができる。領海を侵犯した不審船に対しても、その枠内でしか対応できなかった。
 集団的自衛権も今のような解釈だと、日本の周辺で米軍の艦船が攻撃を受けても、それを自衛隊が助けることはできない。防衛出動待機命令時と周辺事態と重なる場合もあるので政府は苦しい答弁をしている。集団的自衛権行使を認めることに踏み切れば解決する。そのためには内閣法制局の解釈を変える必要がある。
 有事法制がなかった原因は、もとをたどれば憲法の曖昧さに行き着く。どの国の憲法も国家が危機に瀕した場合の規定が明記されるが、日本国憲法にはそれがない。第九条にも緊急事態には誰がどのようにするのか書かれておらず、国民の権利制約、政府と自治体との関係も明記されていない。
 今度の法案は完全ではないが大きな進歩で、国民の安全保障への関心、防衛意欲が高まったことも大きな成果であろう。これが憲法改正に進むことを切望する。
(取材・協力=世界思想、文責・編集部)

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