行き場を失った共産主義者が人権運動に流入
思想新聞2002年1月15日 シリーズQ&A 共産主義は間違っている!!
摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 2
「人間性解放」の誤解が悲劇に
自ら「障害者」をつくり出す矛盾
Q 「人権思想と共産主義とは同根である」と、呉智英氏が断言していると言いましたが、それは具体的にどういうものですか?
A はい。呉智英氏の『ホントの話 ~誰も語らなかった現代社会学~』で触れている部分です。ちょっと長いですが引用してみましょう。
「しかし、新聞でも雑誌でも、実際に聞こえてくるのは、人権、人権の大合唱ばかりです。20年前、30年前は、いくら何でもこれほどではなかった。どうして最近、人権を叫ぶ人が多くなったのでしょう。
それは奇しくもフランス革命200年にあたる1989年に始まる社会主義の崩壊に起因しています。社会主義・共産主義を唱えていた人が、行き場を失って人権運動に流れ込んできたからです。例えば、ジャーナリスト櫻井よしこさんへの言論弾圧で名を馳せた神奈川人権センターの事務局長T氏は、学生時代に反帝学評(革労協)の中心メンバーでした。ついこの間まで過激派として鉄パイプを振りかざしていた人が、今では人権を振りかざして櫻井さんに対する言論弾圧をしているのです。また、ある障害者団体を牛耳る車椅子の活動家は、内ゲバ事件で半身不随になったのです。障害者の人権を守れと叫ぶ人が、自ら障害者をつくり出していたのです。新左翼(過激派)だけではありません。共産党も、解党後の社会党も、みんな人権の旗を振っています。
そうすると、人権運動は共産主義者の隠れ蓑だと思う人が出てくるかもしれません。通俗的な反共主義者はそう主張します。この考えでは、人権思想と共産主義は別物だということになります。しかし、この二つは隠れ蓑の関係にあるのではなく、同じ本質をもっているのです。それは『人間性解放の神話』です。
人間は現実に様々な抑圧を被っています。例えば侵略者によって、階級制度によって、多数派民族によって、というふうに。こういう具体的な抑圧と闘い、具体的に解放されるということは、もちろんありますし、私も賛成です。しかし、そのことと一般的・抽象的な『人間性の解放』とは全然別でしょう。
こんな例を考えてみましょう。子供が誘拐されたけれど、警察の捜査がうまくいって犯人は逮捕され、3日後には子供が『解放』された、という話はよくあります。しかしこれは『人間性の解放』ではありません。ナントカちゃんという具体的な人間が具体的な抑圧から具体的に解放されたけれど、その子供は3日前の日常生活の戻っただけなんです。一般的・抽象的な『人間性の解放』が生じたわけではありませんし、子供の具体的な「解放」を積み重ねていったとしても、その彼方に『人間性の解放』が実現されるわけでもないのです。
しかし、共産主義では、具体的な『解放』の積み重ねがやがて全面的な『人間性の解放』となって歴史の彼方に実現すると考えます。こういう妄想に等しい考え、つまり『人間性の解放の神話』は、フランス革命、そしてそれに先立つ啓蒙思想に端を発しています。何かが『人間性の解放』を妨げている、それを取り除け、という思想です。フランス革命と共産主義は連続物なのです。これは何も私の独創的見解ではなく、政治思想史の常識のようなもので、J・L・タルモン『フランス革命と左翼全体主義の源流』にも出ています」
民主主義と人権の名の下に…
ここで「櫻井さんの言論弾圧」とは櫻井さんの講演会が一部の反対によって中止に追い込まれた事件のことです。反対者には櫻井さんの「人権と表現の自由」はどう映っているか知りたいものですね。ところで、フランス革命は確かに、「自由・平等・博愛」をもたらしたとされますが、実際には血なまぐさいものであったことが近年の研究からわかってきた、とここでも述べられています。
セディヨという人によれば、フランス革命とそれに続く戦乱で殺された人の数は20世紀の2つの大戦でのフランス人犠牲者よりも多かったというのです。さらに、西部のヴァンデ地方では老人や子供を含む30万に上る人々が民主主義と人権の名の下に虐殺されたというのです(森山軍司郎『ヴァンデ戦争』)。


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