国際勝共連合 機関紙 思想新聞は創刊56年 通巻1898号 (令和8年5月1日)

File-61 ボダンの「主権」概念から導く

思想新聞2002年8月1日 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 15

内向きのみ闊歩し置き去りにされた「対外的主権」

構造的矛盾抱えるシェイエス

Q シェイエスについてもう少し説明してください。

「主権とは国家の永続的な権力」

 前回も述べましたが、長谷川三千子・埼玉大教授は、「国民主権(国民の権利)は革命と切り離しがたく結びついている」と、シェイエスの『第三階級とは何か』の煽動的な部分を指摘しています。つまり、「政府対国民」という対立の図式が「はじめにありき」であり、「打倒すべき存在としての政府」なのです。
 シェイエスはジャン・ボダン(1530~96)の有名な「王権神授説」(主権的支配者である王は絶対的支配者である神から国の支配・統治を委託されるとする)に基づく「主権」の定義(「主権とは国家の絶対的で永続的な権力である」)を逆転させて次のように用います。
「国民はすべてに優先して存在し、あらゆるものの源泉である」「国民がたとえどんな意思をもっていても、国民が欲するということだけで十分なのだ、そのあらゆる形式はすべて善く、その意思は常に至上至高の法である」と。
 これは革命前の体制が前提でした。ところが、革命が成功してしまうと、先の「政府対国民」の図式はたちまち破綻してしまいます。どこぞの国の「何でも反対」という反体制の政党が「間違って」政権を取ってしまうと右往左往する、といった現象の原点をここに見る気がします。実際、フランス革命においても、シェイエス自身が直面しなければならなかった構造的矛盾でした。
 さて、歴史教育では一般に「王権神授説=絶対王政正当化」という図式ばかりが強調されますが、実はこのボダンの『国家論』こそ、「主権国家」論のはしりでした。
 ボダンの場合、「主権国家」という場合の「主権」を意味するのに対し、
シェイエスのそれは「国民主権」そのものです。
 これらは全く別物のように見えるけれども実は、「対外的な主権と国内的な主権とが、同じ一つの《主権》概念として、表裏一体にして定義づけられている」(長谷川三千子『民主主義とは何なのか』)というわけです。これを長谷川氏はわかりやすいたとえでこう言い換えています。
「国家の内側において誰が舵取りをするのかという問題も、まずはその国家という船が沈没したり乗っ取られたりしない限りにおいて初めて問題となるのであり、《国家主権》のことは放ったらかしにしておいて、《国民主権》だけにかまける、などということは本来、事柄として通用しないことなのである」
 戦前の日本においては「国体」という言葉がこの「国家主権」と同義でしたが、これが戦後禁句とされると、一般的にこの「対外的な主権」という概念は置き去りにされ、「内部の(国民)主権」ばかりが闊歩するようになったのです。
 ところで、前節において、「マルクス主義は民主主義と人権の言葉の吟味を怠った」と指摘しましたが、これについて、補足しておく必要があります。マルクスは「人権」そのものについて全く言及しなかったわけではありません。八木秀次・高崎経済大助教授が指摘するように、マルクスの『ユダヤ人問題に寄せて』には、「いわゆる人権、つまり公民の権利(政治的国家への参加を意味する「公民の権利」「参政権」)から区別された人間の権利は、市民社会の成員の権利、つまり利己的人間の権利、人間及び共同体から切り離された人間の権利にほかならない。…自由という人権は、人間と人間の結合に基づくものではなく、むしろ人間と人間との分離に基づいている。それはこのような分離の権利であり、自己に局限された個人の権利である」とあります。それをふまえ八木氏は「マルクスは《人権》という概念が共同体の拘束から《個人》として解放されることの重要性の強調することによって、人間と人間との分離を説き、共同体に対して敵対的な、ひたすら自己に極限された《個人》を強調することの問題性を指摘している」と見ます。
 たしかに、マルクスの指摘は間違いではありません。けれども、マルクス主義において「人権」思想はやはり方便にすぎないのです。つまり個人主義の弊害を強調し、大きく全体主義に振り子が振れるということです。

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