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国際貢献の足かせに 9条平和主義通用せず

思想新聞2004年3月1日号【憲法改正そのポイント・4】

 憲法9条が国際貢献の足かせになっている例は枚挙にいとまがありません。イラク人道復興支援への自衛隊派遣でもこんなことがありました。
 陸自先遣隊が派遣された1月16日、現地で使用される軽装甲機動車8台などの装備はロシアからチャーターされた大型輸送機「アントノフ」124型機で運ばれました。空自が存在するのになぜ、他国の輸送機なのか。それは「航続距離が長いと侵略用に使えるため周辺諸国の疑惑を招く」から空自は航続距離の短い輸送機しか採用できなかったからです。
 またイラクで自衛隊員の安全を期すなら戦車をもっていくべきだとの主張もありましたが、これも海外派遣が「侵略」でないこと示すために取りやめ。さらに携行する武器の精度を詳細に公表、おまけに現地に構築する宿営地の見取り図まで明らかにしました。9条が足かせとなって、まるで敵(テロリスト)に塩を送るかのような愚を行っています。

武器使用基準は国際基準と乖離

 そもそもイラク特措法は派遣地域を「非戦闘地域」に限定しています。だが、国際貢献に危険がともなうことは当たり前です。だから各国は軍隊を派遣しているのです。わが国だけが「安全地帯」を望むのは国際貢献とはかけ離れた態度と言わざるを得ません。
 また憲法が「武力行使」を禁止しているとして、相手が撃ってくるまで撃てない、警護活動はできない、他国軍は守れない
等々、国際社会の常識から逸した「部隊行動基準」(ROE)を定め、さまざまな制限を課しています。
 つまり、自衛隊に与えられた武器使用基準は①自分や一緒に活動する別の自衛官②自己の管理下に入った者の生命、身体を防衛するためで、いずれも急迫不正の侵害(個人の正当防衛と緊急避難)の場合にのみ武器使用を認めるとしています(これはPKO協力法に準じたもの)。
 こうした基準は国連の定める武器使用基準とは大きくかけ離れているのが現実です。国連の基準は「民間人の保護」と「任務遂行に対する妨害を阻止する」を最低ラインとし、威嚇射撃も認めているのです。ですから日本の基準は国際社会から奇異の目で見られています。たとえば東ティモール平和維持軍司令官のカールディン・ユソフ中将(マレーシア軍)は「(自衛隊の基準は)国際社会の常識とはかけ離れており、日本の規定は今後、考慮が必要だろう」と指摘しています(読売新聞1月4日)。
 イラクでも「警護」活動が許されていないから、サマワに入った陸自先遣隊は自動小銃で武装しながら、オランダ軍に守ってもらうという何とも異様な姿をさらしました。治安に多忙なオランダ軍にとってはさぞや足手まといだったことでしょう。そればかりか、バグダッドではほとんどの大使館が自国の軍や特殊警察に警備されているのに、日本だけは現地採用のイラク人警備員に安全を託しています。もし自衛隊による「警護」が可能だったら二人の貴重な外交官を死に追いやらずに済んだかも知れないのです。

集団的自衛権行使めぐる愚

 政府の9条解釈は「9条は自衛権を認めているが集団的自衛権行使は違憲」との立場にたっているように、自衛権の中身がきわめて曖昧です。
 しかし、国際法でははっきりしています。国連憲章第51条は「国連安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と、個別的にも集団的にも自衛権を国家の「固有の権利」と認めているのです。
 そもそも憲法98条2項には「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と規定しています。これに従えば国際法である国連憲章(条約)と違った解釈をする9条こそ、違憲と言わざるを得ないでしょう。なんとも不可解な事態に陥っているわけです。
 このように、集団的自衛権行使は認めない、交戦権も認めない、とする9条によって国際貢献が著しく阻害され、それによって国際社会で生きる日本の安全が脅かされていると言っても過言ではありません。何が何でも「武力行使」は禁止されているとする「武力は全て悪」論を克服しなければ、日本は国際社会の孤児に陥ってしまうでしょう。
 むろん、解釈改憲して9条の「武力行使禁止」は「国権の発動として国家の利益を追求する武力行使」であるとし「国際公共利益を実現するための武力行使」は除外されているとする見解も成り立ちますが、集団的自衛権行使の問題が複雑になり、すっきりしません。 やはりここは9条改正が望まれます。

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