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「春窮」に怯える北朝鮮の人々・下

思想新聞2003年3月1日【視点論点】


宮塚 利雄 山梨学院大学教授

恐るべき「主体農法」の致命的失敗

 北朝鮮の最大の間違いは、日本政府がOKすれば国民は納得すると思っていたこと。ところが現実はそうならなかった。民主主義国家では世論を無視した外交はできない。
 民生安定には食糧の安定供給が不可欠だが、北朝鮮農業については良い種を持ち込み、肥料を大量に投入することだ。近年、北の農業代表団が何度も来日している。彼らは農業再建には「種六割、土壌三割、生産方法一割」という。
 97年の代表団は青森の農業試験場を訪問した。ここは昭和10年に創設され耐冷品種の開発で多くの成果を上げた。当然、植民地・朝鮮の寒冷地での稲作も視野に入れていた。戦前の東北は冷害に遭うと娘を身売りするほど困窮した。秋田の生まれの私はそんな話をよく聞かされた。ところが昭和17年に冷害に強い稲が開発され、東北の娘の身売りがなくなった。耐冷性の水稲の育種技術が確立されたのは昭和28年だ。
 今注目されているのは、収量が従来の品種の2倍という、韓国で開発したスーパートウモロコシ。数年かけ北朝鮮の数カ所で栽培実験を行い、韓国で種を取れるようになった。。
 そしてネックはエネルギー不足。土壌改良は大量の肥料と農業機械が必要で、それには工場を稼動させ、流通インフラ整備も要る。どれも莫大な資金を要し、今まで北朝鮮は異常気象による自然災害と言ってきたが、明らかに「主体農法」と呼ばれた農業政策の失敗である。日本への視察団は、その失敗を認め日本に学ぼうとしている表れでもある。
 中国は人民公社の解体と農民の自由生産とで成功したが、北は2002年4月からの経済改革で、企業所には独立採算制を取らせ、協同農場には生産を上げると、国家に収める量以上は自由に処分していいとした。
 農民は協同農場で頑張るより、金になる方つまり隠し畑や焼畑で自由になる作物を作り、農民市場で売るのに熱心だ。自留地は平均1戸当たり30坪ある。しかし、農民市場で工業産品を売ることは禁じられており、それは闇市で流通する。経済システムが破綻し闇市がないと生きられないのが北の人たちの実情だ。
 農業に関して戦前の朝鮮総督府の土壌調査が参考になる。地域や気候、土壌により農作業の仕方、適する作物や栽培法は異なるからだ。戦前は日本人の篤農家がそうした技術を蓄積していたが、戦後、金日成は主体農法で一斉作業をやらせて失敗。日本統治下の朝鮮では、1920~40年までに米の反当り収量が倍増したが、今の北朝鮮は昔の大韓帝国時代の反収にまで後退したようだ。
 北では全部、農業試験場でやってしまうから篤農家が育たないのも問題。北の代表団が羨ましいと話していたのは、日本では試験場と農家の技術や生産性が同レベルなこと。北では農家の技術レベルが格段に低い。日本の場合は何代も続いた農家があり、土への愛着がある。北では強制的に農民にさせられたりして愛着など湧かない。協同農場では収穫を上げても平等に分配するので、働く意欲もない。自留地や隠し畑には力を入れるが、協同農場にも機械や資材を与えないとやる気にならない。
 協同農場があまりにも疲弊している。国ができた頃はそれでも一生懸命に働いた。それまで日本人に搾取されていたわけだから。ところが、働いても働かなくても貰うものは同じとなれば、人間はやがて働かなくなる。それどころか、種や肥料を盗んできて自留地での栽培に力を入れ、山の中でこっそり焼畑をする。そのため北朝鮮は禿山だらけになった。
 一方、韓国は焼畑を禁止し、山に植林したので、洪水が防げるようになった。ところが北では山の頂上までトウモロコシを植える。トウモロコシは根が浅いので、雨が降ると流れてしまう。当初は監視が厳しかったが、協同農場の生産が上がらず、食糧不足になると、半ば公認するようになった。今はそこからも税金を取ろうとしている。
 ところで、私が朝鮮に関わるようになったのは、植民地時代の農業研究からである。当時は、日本から1人の農民が来ると、10人の朝鮮の農民がいなくなると言われていた。その人々は、日本や満州に流れ、都会に出ていわゆる「土幕民」となり、一部は焼畑をする「火田民」になった。私はその火田民に興味を持って研究を始めたのだ。これは長年、無駄な研究なのかと思っていたが、焼畑は韓国よりも北朝鮮に多いので、今となっては役立っている。
(取材・協力=世界思想、文責・編集部)

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