思想新聞 1999年10月15日号 視点論点

政治評論家
井上 茂信
「世界倫理」確立へ“友人”が助言せよ
自自公政権が発足したが、要望は多い。その一つが国連平和維持軍(PKF)凍結解除への法的整備を早急に行い、東ティモール問題で人的貢献を行えるようにすることだ。
湾岸戦争で日本は石油資源の多くを依存するにも拘らず、「人は送れないがカネは送る」と多国籍軍に130億ドルの財政支援を行うも、感謝はおろか世界のもの笑いとなった。その二の舞は許されない。というのも東ティモール問題はわが国と関係の深いインドネシアがかかわっている東アジア紛争であり、今こそ日本の主導力を発揮すべきだからだ。
多国籍軍である東ティモール国際軍の最大の問題点は、白人であるオーストラリア軍が主力で、インドネシアではオランダの植民地だった過去もあり、白人に対する嫌悪感と不信感が強いこと。一方、インドネシアで唯一信頼される外国人は、独立を助けた日本人とされる。日本がPKFの本体業務に参加し主導力を発揮してこそ、東ティモール問題の円滑な解決が可能になる。この点、政府が「インドネシアの安定は日本にとり死活的に重要」としつつ、今まで手をこまねいていたこと自体おかしい。
インドネシア国民の豪州への不信感にはさらに三つの理由がある。第1は豪州主導の多国籍軍は、自国の権益拡大を狙うものだという疑惑。同国にとり、東ティモール周辺海域は対日貿易の航路で経済的に“生命線”。また、石油・天然ガスなどの海底資源も豊富だ。東ティモール独立で資源開発の利権狙いと多くのインドネシア人は見る。
第2は豪州側の尊大な姿勢。ハワード首相は雑誌のインタビューで「世界の警察・米国の代理人として唯一の西側の国である豪州が周辺地域の治安維持の役割をアジアで果たす」とハワード・ドクトリンを発表。これは米国でも批判され、インドネシア国民から「尊大で傲慢」と反発を受けた。
第3はオーストラリアがインドネシアの東ティモール併合承認から独立支持へと態度を豹変させたことだ。東ティモール問題は、インドネシアの政局混乱に拍車をかけており、アジア大国日本の出番が望まれる。
PKF参加でわが国が心しなければならないのは、東アジアのナショナリズム問題。同地域のナショナリズムの特色は白人対有色人の人種問題がからんでいる。欧米による長年の植民地時代の怨念もあって、現地のナショナリズムは反白人、反欧米感情へと暴走しやすい。ここがコソボ問題との最大の相違である。
古くは1900年の中国の「義和団の乱」がそうだった。最近ではユーゴの中国大使館誤爆事件で、中国全土に反米ナショナリズムが高まった。よって、日本政府は東アジアのナショナリズムと世界倫理の関係について明確な基本理念を持たねばならない。そうしなければ、オーストラリア軍とインドネシア国民の高まるナショナリズムの間で右往左往を余儀なくされるであろう。
どの民族にとってもナショナリズムは大切だ。それは愛国心の土台であり、国民のエゴを克服するものだから。さらに、グローバル化を迎えた現代だからこそ、各民族がアイデンティティを確立し、個性を発揮することが重要なのだ。インドネシアのような開発途上国の場合、維新期の日本がそうであったように、欧米諸国に追いつき、追いこせという国民の素朴なナショナリズムが国の発展に不可欠との理解が必要だ。
だが、地球が通信・交通手段の発達で狭くなった今日、偏狭なナショナリズムや民主主義や人権尊重といった人類普遍の倫理にそむく行動は許されない。その国の国際孤立を招き、経済的にも破綻の道を歩むことになるからだ。
アナン国連事務総長の提案により、国連総会は2001年を「文明間の対話の国連年」として宣言することが決定しているが、その目的は「世界倫理」の確立である。同氏は「自分は自分、人は人」という態度では国際紛争を生むだけとして、「同じ人間」としての感覚を各国が共通基盤とすることを提案している。
最も信頼される友人として、わが国はインドネシアに対し、東ティモールの独立承認は国際的な要望であり、「世界倫理」に同国が従うことの意思表明になることを助言するべきだ。これ以上ナショナリズムの暴走を許せば、単なる民族エゴとして、同国は国際的に孤立するだけだろう。
それにしても、日本は早急にPKF本体業務の凍結を解除すべきである。「紛争当事者の停戦合意」などをPKO参加の条件とした五原則は非現実的だ。PKFは現地の治安回復後に多国籍軍から任務を引き継ぐことになるが、PKFの凍結で主導力を発揮したのは公明党だった。同党はPKF参加凍結をPKO協力法の論議で提案し、政府・自民党が受け入れて、自衛隊のPKF参加は別に法律で定めるまで凍結することになった。自自公は可能な限り自衛隊の手をしばらないPKF参加への法的整備を早急に行うべきである。


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