思想新聞2002年7月15日【視点論点】
高麗大学名誉教授
申 一澈
「自決権」の濫用
北朝鮮の『人権に関する第2次報告書』は、市民的政治的権利に関連した北朝鮮の法律の条文を羅列した解説という印象を与える。従ってこの報告書の解説が北朝鮮内における人権の実態とほど遠く、特に、北朝鮮における人権が最貧状態であることは、既に世界に広く知られる事実だが、その事実認定さえ回避し、人権改善の意志や、画期的な人権伸長の改革案が全く見られない。
この報告書が、未だに国際人権規約加入に価するだけの人権改善に全く寄与していない。北朝鮮の政治体制は“首領”一人の中央指令が支配する超憲法的“人治”であり、“法の支配”に基づいた法治国家ではない。その点で超憲法的な北朝鮮の指導者の統治イデオロギーと、朝鮮労働党の党綱領規約など一党独裁体制の中に、より深刻な人権蹂躙の要素が巣くっている。
北朝鮮は、1948年の世界人権宣言、75年の「ヘルシンキ宣言」、特に81年加入の「市民的・政治的権利に関する国際規約」の「個人の基本権」を基にした人権に関する概念を受容・実践したとは言い難い。
まず、今回の報告書の冒頭に「自決権」を持ってきた意図は明白である。北朝鮮が市民的・政治的権利に関する国際人権規約(B規約)で、旧ソ連などが「自決権」を歪曲、悪用した前例をそのまま利用している。北朝鮮は人権理念を歪曲し、自国に都合よく解釈するために、自国の政治制度の決定という名分をもって北朝鮮の「人民の決定権」を振りかざし、北朝鮮の「ウリ(我々)式人権」の主張をこの「自己決定権」で扮装させ、結局はこの真の「人権」に背を向けた。また、報告書は国家主権の自主性を強く主張し、国連(UN)と国際社会の人権の伸長に関する努力が、まるで北朝鮮に対する「内政干渉」であるかのように強弁してきた根本意図からしても、この報告書は北朝鮮が人権改善に対して自ら実行しようとする誠意も示していない。
しかし、北朝鮮当局は国際人権規約に加入したことで加入の際に人権伸長に対応する自己制限を受諾しており、これを拒否することはできない。北朝鮮は「ウリ式人権」を強く主張し、UNと国際社会による人権最貧状態への改善勧告と誠意ある努力に対し、これ以上妨害・拒否を繰り返してはならない。
人権改善問題に対し北朝鮮が主張する「人民の自決権」が正常に行使できる政治的・法的環境が保護されない点で、この報告書が「自決権」を振りかざし北朝鮮の人権不毛状態を逆に合理化していることに対し深い憂慮の念を禁じ得ない。
北朝鮮の『第2次報告書』に示された、北朝鮮の「人権」に関する概念に対しても深く憂慮する。その理由は、個人の人権とその基本的自由の保護が補償しにくい、北朝鮮の反人権的政治イデオロギーが修正・改善されていない点だ。
市民の自由が保証されるべく、市民社会が北朝鮮体制には存在しないからである。北朝鮮の人権に関する報告書に対するUNの人権理事会の質疑5項に対して、北朝鮮側は北朝鮮では「為民以天」の人民尊重政治を施行していると回答した。いわゆる「為民以天」の「仁徳政治」のレトリックは、普遍的な人間の基本権を認定しないで、最高統治者の中央指令と、「仁徳」のある雅量、善処だけを願うというものだ。そんな政治観では、すべての個人が自由と平等に生まれたという世界人権宣言の人権思想と相反する。
北朝鮮の「ウリ式人権」の虚構性
北朝鮮の同報告書第14項で、国家は役人が自分の業務遂行で「人民を神のように信じよう」というスローガンを掲げ、人民の権利を保護すると記述しているが、「天賦人権説」の人権思想に対して、言及を回避しこれを排除している。
それどころか北朝鮮の政治は一人の統治者、「首領」崇拝を政治の信条として、「為君以天」の王権神授説と同様の封建的王権の教条を根底に敷いている。北朝鮮の「主体思想」では、個人の肉体的生命は父母から授かるが、その社会政治的生命は「首領」が授けるという教条から反人権的首領主観論が引き出されている。これが個人の基本権を否定する北朝鮮の「主体哲学」、「社会政治的生命」のテーゼだ。この全体主義的社会有機体論からは個人は有機的全体の一部の付属品にすぎない。98年の改訂憲法でも、第5項「公民の基本権利と義務」第63条で、その義務は「一つは全体のために、全体は一つのために」という集団主義的「全体」優先のレトリックで個人の自由権の立つ場をなくしている。
特に北朝鮮の統治イデオロギーである「主体思想」は「人間中心の世界観」だとふりかざすが、その「人間」の概念は、「集団主義的原則」に立脚した点で反人権的だ。この「人間中心」の人間は、「集団主義的全体」の中に解消される個人であり、従ってその個人の自由観は否定されるしかないのである。(第3回北朝鮮人権と難民問題国際会議から、文責・編集部)


コメント