思想新聞2002年4月1日号【有本さん拉致1面top】
神戸市外大生・有本さん失踪事件
「よど号」犯元妻が法廷で証言北朝鮮 拉致否定も生存を示唆
1983(昭和58)年、英国ロンドンに留学していた神戸市外大生の有本恵子さん(当時23)が失踪した事件で、日航機「よど号」ハイジャック犯(柴田泰弘元受刑者)の元妻、八尾恵・元スナック店主(46)が警視庁公安部の調べで、「有本さんの北朝鮮への拉致は『よど号』グループが計画・実行し、自らも関わった」と供述した。一連の「日本人拉致」事件に関して、「よど号」グループ関係者による直接の供述は初めてで、同公安部は「拉致」と断定、特捜本部を設置し疑惑解明に乗り出した。日本政府=警察庁がこれまで認定してきた日本人拉致疑惑は、横田めぐみさん(当時13=77年新潟で拉致)をはじめ7件10人だったが、今回のヨーロッパで行方不明となった有本さんを含めて8件11人となった。
拉致への関与を認めた八尾元妻は3月12日、同じ供述内容を「よど号」グループ犯の一人、赤木志郎容疑者(53)の妻、金子恵美子被告(46)の旅券法違反事件の検察側証人として東京地裁法廷で拉致の全貌を証言。
この証言によれば、北朝鮮に渡った翌78年にリーダーの故・田宮高麿から「日本を金日成主義化するため、革命の中核を担う日本人の獲得・育成が我々の課題」と言われ、83年に「ロンドンで日本人、25歳ぐらいまでの若い女性を『獲得』せよ。それまで『獲得』した男性と結婚させる」という任務を受けた。八尾証人はロンドンで有本さんに偽名で近づき、市場調査のアルバイトをしないかと北朝鮮大使館のあるデンマークに誘い出した。83年7月、同国コペンハーゲンで「よど号」メンバーの安部公博容疑者(53)と北朝鮮対日工作員のキム・ユーチョルと引き合わせた。「北朝鮮に一緒に行こう」と誘い、モスクワ経由で北朝鮮入りしたという。
有本さんは失踪直前、ロンドンから「仕事」の関係でデンマークにいるとの便りが最後となった。その後、88年に札幌出身の男性から有本さんの実家に写真と共に「北朝鮮にいる」との恵子さんの消息を伝える手紙が届いた。有本さんの両親は北朝鮮による拉致と恵子さんの生存を確信し、国や政治家に救出を再三働きかけたが、効果なく19年が過ぎた。八尾元店主は、法廷での証言を行う10日前に有本さんの両親に会い、涙を流して謝罪したという。
今回の八尾証言を機に、有本さんの両親ら拉致被害者の八家族は、3月19日、首相官邸に小泉首相を訪ね、有本さんらの早期救出を厳しく求めている。
これまで「7件10人」と認定されていた北朝鮮拉致疑惑だが、この報道を受け日本政府は、有本さんを北朝鮮による拉致被害者と断定、同被害の政府の公式認定者は「8件11人」とした。警察庁は国際捜査プロジェクトを設置、拉致に関わった「よど号」グループの安部容疑者を国際指名手配にした。
小泉首相は「拉致問題を棚上げして日朝の国交正常化交渉はない」と、毅然とした姿勢を貫いて拉致問題解決に取り組む構えを見せた。
しかし、公安当局では八尾証言での日本人拉致を「北朝鮮の意向かどうか疑問」(3月13日朝日新聞)と述べ、産経新聞報道では、外務省北東アジア局で安倍晋三官房副長官の意向に反し拉致疑惑解明プロジェクトにきわめて否定的・消極的な態度を取ったという。また、同省の高官が「たった(拉致被害者)10人で日朝国交正常化交渉に影響が出たら困る」と発言したこともわかった。
なお、日本政府の「8件11人」には入っていないが、有本さんの実家に消息を伝えた札幌市の男性のように、北朝鮮から拉致されたと見られる行方不明者は「よど号」関係だけでも20人に上るという。現代コリア研究所の佐藤勝巳所長は、「よど号」犯の娘らが人道帰国した事実を、「代を継いで革命を遂行する」金日成主義の現れだと警告し、政府・外務省に北朝鮮に対し厳しい制裁措置を取るよう求めている(3月19日産経)。
また、「よど号」メンバーから家族のもとに連絡が入ったという福留貴美子さんのケースもある。ジャーナリストの高沢皓司氏によれば、福留さんは拉致されて「よど号」犯の一人である岡本武(74年の日本赤軍テルアビブ空港事件の実行犯・岡本公三の実兄)の妻にされたという。さらに岡本夫妻は路線対立から田宮らに「総括・自己批判」を求められ査問されたあげく事故死したという(『宿命』新潮文庫)。福留さんの母親は、外務省に対し、北朝鮮に問い質すよう再三にわたり申し入れを行っていたが、真相が明らかにされぬまま今年1月に死去した。
「よど号」犯らの「かりの会」は、ホームページ上で「でっち上げ」と声明を発表している。
実際、硬化すると見られた日朝関係だが、3月23日には北朝鮮側から有本さんの「生存」を示唆する情報が、メディアを通じて伝えられた。
これを機に、拉致疑惑解明が一気に進むことも予想されるが、北朝鮮側はあくまで「拉致」は否定して行方不明者の捜索としている。それでも、高齢の被害者家族にとって有本さんらの一刻も早い救出が願いだ。
重信逮捕劇でわかったように、「よど号」と日本赤軍との「接点」も解明されねばならない。国際共産主義の、社会に残した傷跡はあまりに深く、重い。だから今こそテロへの真摯な「総括」が求められるのではないか。
■「よど号」ハイジャック事件と「赤軍派」■
1969(昭和44)年、共産主義者同盟の関西ブントを中心に結成されたのが「世界革命」をめざすトロツキズムによる過激派集団「赤軍派」である。このうち、「海外拠点論」を軸とした塩見孝也議長を中心に70年、ハイジャックを計画。決行直前に塩見議長は逮捕、残った田宮高麿(95年死亡)ら9人が日航機「よど号」を乗客を人質に乗っ取り、北朝鮮への亡命を要求した。乗客の解放と引き替えに山村運輸政務次官が身代わりとなり北朝鮮へ亡命。
日本に残った森恒夫ら赤軍派の武闘派メンバーは、銀行襲撃などの「マフィア作戦」を続け、毛沢東主義を奉じ「革命は銃から」を旨とする永田洋子らの京浜安保共闘(共産党革命左派神奈川県委)と合流し、「連合赤軍」を形成。72年、警察と銃撃戦を繰り広げ警官2人を射殺した「あさま山荘事件」とそれに至るまでの「大量リンチ殺人事件」を起こした。
一方、2000年11月に日本で逮捕された重信房子を中心とするメンバーは71年、中東に渡りPLO(パレスチナ解放機構)やその武装組織PFLP(パレスチナ民族解放戦線)と共闘する「日本赤軍」を称した。日本赤軍は、奥平剛士と安田安之、岡本公三らが72年にはテルアビブ空港乱射事件を初めとする無差別テロの挙に出た。日本赤軍はその後もドバイ、ダッカでハイジャック、ハーグ、クアラルンプールで大使館占拠事件、ジャカルタ・ローマ・ナポリで爆破事件を次々に引き起こした。未だに何人もの「残党」が逃亡中である。(呼称略)


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