思想新聞2003年3月15日号 共産主義は間違っている!!
摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 29
解き放たれるサブカルチャー
Q ポストモダン思想にはあって、ニーチェにはない「デカダン」(退廃)とは、どういうことでしょうか。
A ニーチェは、伝統的キリスト教のあり方を「奴隷道徳」と見なして、ヨーロッパ文化の価値転倒を企て、「超人思想」による新しい価値観の定立を唱えました。ですから基本的に、いきおい個人主義にならざるを得ません。今日、宗教に対する通俗的見方として、「宗教は(精神的に自我の)弱い者がすがるもの」というものがあります。まさに、ニーチェ思想の「亡霊」とも言うべきものでしょう。
そしてさらに圧倒的な背景にあるものとしては、一九世紀後半の世界を席巻し、今なお影響を与え続けているダーウィンの進化論思想です。弱肉強食の自然淘汰説が社会論と結びついたわけで、ニーチェは弱者としての人類を踏み超えた「超人」という強者を志向したわけです。
これは、いわゆる帝国主義的世界分割に都合のよい大義名分となりました。それがいわゆる、ファシズム・ナチズムに利用されていくこととなります。つまり全体主義による、「焚書」などを通じた文化統制へつながっていくわけです。これはファシズムに限らず、共産主義(とりわけスターリニズム)にも言えることですが、文化的な「退廃・堕落」と称して、多くの文化人がパージされ、生命すら奪われてしまったのです(スターリン体制下のソ連の粛清や中国の文化大革命など)。
こうした教訓をふまえての反動もあって振り子が大きく逆に振れることになり、特に自由主義圏では今や「何でもあり」の様相を呈するに至ったのです。日本においても戦前戦中がファシズムだったか否かはともかく、文化統制が行われたそれへの反動が、戦後日本を支配するに至りました。殊に今日個人情報保護法などが「表現の自由」に反するとマスコミが猛反発するのは、端から見ると「羮に懲りて膾を吹く」過剰な反応にしか思えないのですが、こうした歴史的な経緯の「トラウマ」がどうしても反動として現れてくるのでしょう。
ですから、「退廃」「堕落」は今日、忌むべき言葉ではなくなってしまい、それどころか逆に「カウンター・カルチャー」「サブカルチャー」として命脈を保つことになりました。しかし、恐るべきことに、今日の様相として従来のそうしたカテゴリーにあったものから「カウンター」「サブ」という「接頭辞」が取れてしまっている、ということにあります。例えば「不倫は文化だ」などという発言がまさにそれを象徴しています。「文化的階級転覆」とも呼べるかもしれません。
実はジェンダーフリーの思想も、こうした流れの上に乗っかっていると言うことができます。
ちょっと見づらいですが図を見てください。先に述べたマルクスとニーチェ、そしてフロイトが現代哲学、ポストモダン思想に与えた影響の大きさがわかるでしょう。


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