思想新聞2004年2月1日【憲法改正そのポイント】2
憲法を改正するには、次のように明記している憲法96条1項の規定に従わなければなりません。
「96条① この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」
つまり、憲法改正にはまず第一に「各議院の総議員の三分の二以上」の賛成によって国会が発議します。出席議員の三分の二以上ではなく、衆参両方の議院において総議員の三分の二以上です。その賛成が得られると、第二に発議された改正案は国民投票にかけられることになります。そこで過半数の同意が得られれば、晴れて憲法改正が実現できるわけです。
このように改憲には二重のハードルを設け、世界でも希な「硬性憲法」になっているのが現行憲法の特徴です。
余談ですが、こうした「硬性」の結果、解釈改憲がまかり通り、逆に国民の憲法への意識は薄らいできたのが実態でしょう。欧米各国のように、改憲作業を通じて国民が憲法と関わり、そのことによって民主主義の精神を高揚させていくのと、正反対の現象が日本には定着してきた感がします。
法案をお蔵入りさせた吉田内閣
さて、憲法96条に則れば改正の是非を問う国民投票法といった法律がすでに整備されていなければならないはずです。ところが、これが今日まで存在していないのです。
国民投票と言えば、昨年11月の衆院議員選挙の際にも行われた最高裁判所の裁判官の投票がありますが、こちらの方は憲法79条2項で「最高裁判所の裁判官の任命後初めて行われる衆議院議員選挙の際国民の審査に付し、その後も同様にする」とあり、さらに同条4項には「審査に関する事項は、法律でこれを定める」とされ、これに基づいて「最高裁判所裁判官国民審査法」が1947年11月に施行されています。
憲法改正の発議もこれと同じく国民の意思を問わなければならないのに、それを定める法律が未だ存在しないのですから、何とも不思議な国です。
占領体制から独立した53年、当時の自治庁が「日本国憲法改正国民投票法案」を吉田茂内閣に提出しましたが、吉田首相は「憲法改正の意図はない」として同法案を葬ってしまった経緯があります。それ以来、歴代内閣は「改正の意図はない」と言い続け、投票法案はお蔵入りし続けてきたのです。その後、投票法案は国会で話題になることもありませんでした。
ところが、99年4月に開かれた参院決算委員会で取り上げられました。自由党(当時)の平野貞夫参院議員が内閣法制局に対して「諸外国で、憲法で必要とする改正手続きの法律の整備を放置しているケースはない。憲法体系の不備ではないか」と、問いただしたのです。
これに対して、内閣法制局の大森長官は「今のところ憲法改正の国民的合意はないと考えいてる」として“怠慢論”を退けました。そこで自由党は、99年6月に開いた自由党第二回党大会で憲法改正の手続きを定める国民投票法案の制定をめざすことを決めました。平野議員らが中心となってまとめた国民投票法試案によると、憲法改正の国民投票の期日は「国会の改正提案から60日以後90日以内で内閣の定める日」とし「内閣は国民投票の期日の20日前までに、期日と改正案の説明などを官報に告示する」としています。
超党派で投票法案作り進む
こうした流れを受けて2001年、共社両党を除く超党派の憲法調査推進議院連盟が国民投票法案と国会法改正案を作成しました。法律を作るのは言うまでもなく立法府の責任ですから、国会の“怠慢”に終止符を打って憲法改正の環境を整える時がようやくきたと言えます。
今年に入って改憲の動きが本格化してきました。自民党は一月十六日の第七十回党大会で採択した運動方針に「新憲法草案の取りまとめと併せて、国会法の一部を改正する法律案、日本国憲法改正国民投票法案についても検討を進め、早期成立を目指す」ことを明記しました。これを受けて自民党の中川秀直国対委員長は国民投票法案と国会法改正案を今通常国会に提出する意向を表明しました。
またマスコミも国民投票法の制定を求めるようになってきました。読売新聞は一月十三日付に「国民投票法/憲法改正へ環境の整備を急げ」と題する社説を掲げ、「憲法改正や制定は、国民にとって最も重要な主権行使だ。そのための手続き法をいつまでも放置し続けるのは、政治の怠慢以外の何ものでもない…これ以上、政治が『不作為』を続けることは許されない」と訴えました。
まさにその通りでしょう。改憲には投票法制定が不可欠だからです。


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