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File-57 「歴史性」と切り離せない国柄

思想新聞2002年6月1日 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教国」ニッポン 11

「公共の福祉」を顧慮しない手前勝手なメディア

民意の基層文化を軽視するな

Q しかしながら、問題はそれほど単純ではないような気がします。というのも、エドマンド・バークの言う「権利は世襲の財産」ということを、それこそ際限なく突き詰めていけば、一八~一九世紀の奴隷制度などは肯定されてしまうのではないでしょうか?

バークの直面した課題と限界

 確かに、残念ながらバークは現代の人ではありません。奴隷制度が成り立っていた社会を現実のものとして受け入れていたはずでした。それがたしかにバークの限界ではあります。
 しかもさらに、悪い伝習や因習、宗教もあるのではないか、という意見もでてくるのは当然のことだろうと思います。
 この点については、現代ドイツの哲学者であるゲオルク・ガダマーとユルゲン・ハーバーマスとの「歴史性」をめぐる論争にも端的にあらわれている問題です。例えば西欧文明の尺度からすれば、ムハンマド(モハメット)の時代の内容をそのごとくに実践しようとするイスラム原理主義のエートス(規範)に対して、様々な観点から「グローバルスタンダード」ではないと、明確に拒絶できるでしょう。しかも、オウム真理教のようなテロ集団を宗教として見てしまうと、問題がよけいややこしくなります。また、中国の歴史をひもとくと、宗教結社が「革命」を起こしてきたこともわかります。
 ところが、そこに百~二百年という「歴史」の尺度で見ていくと、人々にとって受け容れられるものであるか否かが、明らかになって来るように思われるのです。その意味では今日、キリスト教やイスラム教、仏教など世界宗教と呼ばれているものは決して軽視できません。それらは国を超えてすら影響力を持っています。そうした様々な文化・習俗の基層の上に、「民意」なりナショナリズムが乗っかっているのではないでしょうか。ですから、ある「価値観の押しつけ」に反発が生じるのはそこに民意が存在しているからとも言えます。もっとも、中には「つくられた民意」というものもあるのですが。

民意を恣意的に利用するマスコミ

 ところで、最近テレビ・新聞など主要メディアが、いわゆる「メディア規制法案」を国会の俎上に載せようとした段階で、にわかに色めき立って、「表現の自由」を大幅に制限する憲法違反だとして、客観報道ならぬ「偏向報道」に狂奔しています。これは当初、メディアの「自主規制」すなわち自浄作用を期待したはずなのに、それをメディア側が有名無実なものとした。だから、それなら上から規制するしかない、ということになったわけです。メディア側はそれが実は民意から出ている、ということを完全に無視して「己れの正義」ばかりを主張しています。そこには明らかに「第四権力」としての驕りが働いているのです。これでは、本当に「国民主権」の社会と言えるのでしょうか? 不思議なことに、内閣支持率に関しては頻繁に世論調査を展開するメディアが、ことメディア規制に関しては恣意的に「民意」を置き去りにしているようにさえ見えるのです。
 5月3日の憲法記念日における「新しい憲法をつくる国民大会」の中で挨拶した西部邁・秀明大学教授の「第十二条や十三条に《自由の権利》が書かれている。もちろん手前勝手な自由を主張すれば、無秩序状態に陥るわけだから、《公共の福祉に関しない限り》という制限が敷設されている。ところが公共の福祉という意に関しては憲法のどこを読んでも一片の示唆もない。公共の福祉の基準とは、この国の歴史に基づき、自分たちの国柄というものを引き継いで、それを子孫に対して引き渡すという考え方が公共の福祉の基準になるのではないか」との言葉が示唆的です。
 また、5月中旬の自民党森派(清和政策研究会)のフォーラムで金美齢さんと田原聡一朗氏との対談で金美齢さんが「辻元清美前議員はつまるところ日本という国を愛していない」と断じました。台湾出身の彼女のいう「国」とは何も「国家体制=国体」とか「政府」という意味ではありません。そもそも国家そのものが国家体制や為政者のみによって成り立つはずもなく、権力としてのみ国家を考えると重大な誤解を生むでしょう。

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