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建国記念日 日本古来の伝統精神に立ち戻ろう

この記事は2011年2月11日に投稿されました。

2月11日は私たちの祖国・日本の建国記念日である。初代天皇の神武天皇が橿原の宮で即位したとされる日だ。「日本書紀」に由来する。「紀元節の歌」(明治26年、高崎正風・作詞、伊沢修二・作曲)に「空に輝く 日の本の 万の国に たぐいなき 国のみはしら たてし世を 仰ぐ今日こそ 楽しけれ」とあるように、わが国はかけがえのない、歴史と伝統のある国である。しかしながら現在、日本の格付けの下落に象徴されるように、内外のさまざまな危機に直面しており、国の礎を据え直すときである。改めて国を誕生に思いを馳せる1日としたい。

米国の建国精神に訴えるオバマ米大統領演説

アフリカ系米国人として初の大統領になったバラク・オバマ第44代米国大統領は2009年1月20日の大統領就任演説の最後に建国の父たちを称えて、次のように訴えた。
 「米国誕生の年、酷寒の中で愛国者の小さな一団は、氷が覆う川の岸辺で消えそうな焚き火の傍らに身を寄せ合った。敵が進軍し、雪は血で染まったとき、彼らは次の言葉を人々に読むよう命じた。『酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることができない時、共通の脅威に気づいた町も田舎もそれに立ち向かうために進み出た、と未来の世界で語られるようにしよう』」
 この逸話を紹介したオバマ大統領は就任演説をこう締めくくっている、「我々も凍てつく流れに立ち向かい、我々の子孫に言い伝えられるようにしよう。試練の時、旅を終わらせず、地平線と神の慈しみをしっかりと見つめ、自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と」
 このようにオバマ大統領はアメリカの建国精神を語った。建国精神はいかなる時代にあっても米国民の心の支えとなってきた。今日、衰えたといえ超大国として世界に覇を唱えているのも、この建国精神に導かれているからである。
 世界各国を見れば、米国のように独立宣言した7月4日という史実に基づく建国記念日がある。大半の国は独立記念日と呼んでいる。フランス革命(7月14日)や辛亥革命(10月10日、台湾の双十節)を始め、植民地だったアフリカやアジア諸国のほとんどの国がそうした記念日を持つ。その多数が独立記念日というのは、それだけ植民地が多かったからである。イギリスやタイのように植民地にならなかった国には当然、独立宣言日がなく、決まった建国記念日もない。

世界で神話を建国記念日とするのは日本と韓国だけ

むろん日本も植民地になったことがない(戦後の占領経験はあるが)。それで建国記念日は独立記念といった日ではない。神話に基づく建国記念日を持っているのである。このことは誇るべきことである。。世界広しといえども、神話に基づいて建国記念日を設けているのは194ヵ国中、わずかに日本と韓国の2カ国だけだ。まさに世界遺産モノである。アジアの東の果ての2カ国のみが建国神話を持ち、かつこれを記念日にしている。このことを私たちは大いに誇りたい。韓国は檀君が天から降りて国を開いたとする開天節(10月3日)をもって開国記念日とする。日本から解放された8月15日(光復節)としなかったのは歴史と伝統に誇りを持つ韓国の人々の見識と言わなければならない。同じ朝鮮の人々でも伝統を否定する共産国の北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」を宣言した日すなわち9月9日を建国記念日とし、開天節を黙殺している。これは自ら朝鮮の伝統がないことを宣言しているに等しい。
 わが国は明治期、「日本書記」に神武天皇が「辛酉年春正月」に即位したとの記述をもとに太陽暦で換算して2月11日を紀元節としたのが由来である。もし明治の先人たちが北朝鮮と同じように伝統を省みず、自らが政権を奪取した日をもって建国記念日としたなら、差しずめ江戸幕府の大政奉還日である10月14日といった世俗の日が建国記念日になっていたことだろう。そうしていれば明治政府の正統性は揺らいだに違いない。そうはせず、建国神話をもって紀元節とした明治の先人の叡智は称賛されるべきものである。

敬天愛人と家族共同体の生活文化意識が脈打つ

米国の建国精神に匹敵する日本の建国精神はいったい何だろうか。そのルーツはやはり古代に立ち戻って考える必要がある。日本人は蒙古斑を持つ。蒙古斑とは誰もが知っている小児の臀部などの青い斑紋である。いったい、これはどこから来たのだろうか。それは「ノアの長子であるセム」の子孫を表すものなのである。蒙古斑を持つ人々はモンゴリアンと呼ばれる。蒙古だけならモンゴル人をさすが、モンゴリアンは黄色人種にとどまらず、優性遺伝なので外見は白人や黒人でも蒙古斑を持つ人々が少なからずいる。現在、人類の7割がモンゴリアンとされている。モンゴリアンはユーフラテス川流域から世界に散らばった「巡礼者のような同族」で、そこからユダヤ教やキリスト教、イスラム教、仏教、儒教といった世界宗教が生まれた。このセムの子孫たちが形成した文明と宗教には普遍的な共通項がある。
 本連合創設者の文鮮明師は「モンゴリアンの文化の原型には敬天愛人と家族共同体を重視する生活文化意識がある」と指摘されている。敬天愛人と家族共同体の観念つまり天を敬い、家庭と性に対する倫理と純潔、霊性を指向するアガペー的な愛の精神的原型がモンゴリアンの心に脈打っているのである。言うまでもなく、わが国の建国の精神もここに由来する。建国期の大和時代、わが国は未曾有の危機にあった。内にあっては国家としての形態が整わず天皇制も不確かで、氏族戦争が絶えず、外にあっては大国・随の登場で周辺諸国は大きな衝撃を受け、朝鮮半島では高句麗と新羅、百済の3国が対立し、日本も巻き込んで揺れ動いていた。この危機を超克しようと、モンゴリアンの精神を体現したのが聖徳太子にほかならない。

聖徳太子の十七条憲法の精神を想起してみよう

聖徳太子は推古天皇の11年(603年)に冠位十二階を定め、翌年(604年)に「十七条憲法」を作成し、「国家」の基礎を確立した。日本書記には「皇太子(ひつきのみこ)、親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法(いつくしきのり)十七条をつくりたまふ」と、太子自ら十七条憲法を作ったと記されている。
 「和を尊び、争うことのないようにせよ」の第1条で始まり、「大事なことは一人で決めてはならない。必ず皆で相談するようにせよ」と終わる十七条憲法は、清き明(あか)きこころ(清明心)を理想とし、わたくし(私心・利己心)を最も否定されるべき悪徳とした。また偽りのないまごころ(赤心)を求め、よこしまで腹黒い邪悪なこころ(邪心)を排除しようと努めた。
 日本の宗教的伝統である「和の精神」とも呼ばれる宗教的寛容性と総合性(シンクレティズム)がここに現れている。聖徳太子は仏教を布教し自身も熱心な信徒・研究者でありながら、同時に「敬神の詔」を出しているように日本的宗教としての「神・仏・儒習合思想」のプライオリティだった(堺屋太一氏『日本を創った12人』PHP新書)。敬天愛人すなわち神や仏、天を敬い、慈悲や仁の精神をもって人を愛することが建国の初めの大和時代からの伝統的精神なのであり、これこそモンゴリアン精神の体現と言ってよい。
 その精神が今ほど求められているときはないのではないか。金融資本主義や欲望民主主義が闊歩し、社会倫理が地に堕ちている現代、それを超克するには確固たる道徳律が不可欠である。今日の家庭の崩壊、青少年の犯罪、国際テロ、地球規模の疾病と飢餓などから人類を救い得る源泉になるのは、敬天愛人と家族共同体の生活文化意識である。そうした伝統的精神に基づく「為に生きる」精神と活動が今こそ必要である。建国記念日にあたって私たちは日本古来の伝統精神の原点に立ち戻りたいと考える。

2011年2月11日

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