思想新聞 2002年11月3日号 アピール2002
日本共産党は最近、「拉致疑惑を国会で初めて取り上げた党」と宣伝したり、北朝鮮の朝鮮労働党との長年にわたる「革命友党」の関係を躍起になって否定しているが、こうした欺瞞的言動に国民はだまされてはならない。拉致事件が起こっている時に共産党は朝鮮労働党の「友党」として工作員の日本への入国を画策していたのである。共産党は拉致被害者と家族に謝罪しなければならない。
1、「拉致疑惑」を最初に国会で取り上げたのは民社党であり、共産党ではない。
共産党は88年3月に同党の橋本敦参院議員が予算委員会で取り上げたのが最初と宣伝しているが、これは偽りである。最初に取り上げたのは88年1月28日、衆院本会議の各党代表質問で民社党の塚本三郎委員長が大韓航空機爆破事件で「李恩恵」問題に言及し、拉致疑惑を問うている。
2、共産党は拉致が続発した70年代後半、朝鮮労働党を絶賛し日本革命の共闘者と位置付けていた。
共産党は朝鮮労働党と60年代はベトナム反戦で一致していたが、68年に「南進」論の誤りを指摘、83年に関係を断絶したとしている。たしかに83年のラングーン事件で共産党は朝鮮労働党との関係を切った。しかしそれ以前の共産党は朝鮮労働党と日本革命で歩調を合わせていた。68年に宮本顕治書記長(当時)が訪朝し、金日成主席と意気投合した事実はあっても、「南進」論を批判した話など聞いたことがない。あるというなら共産党は事実で明確に示せ。1950年の北の侵略による朝鮮動乱も長く米帝と韓国かいらい政権の仕業としてきたではないか。
3、拉致事件(認定分)が最初に起こった77年に共産党は朝鮮労働党をきわめて高く評価し、北の工作員を日本に招こうとしていた。
77年10月に共産党は第14回党大会を開催したが、このとき共産党は「友党」である朝鮮労働党から代表団を招こうとした。これに対して日本政府は、同代表団一員は革命工作員であると判断して入国拒否した。これに宮本委員長は怒り、党大会の冒頭の挨拶で以下のように述べた。
「(入国拒否に)私はこの壇上から強く抗議するものであります。朝鮮民主主義人民共和国は、すでに九十余の国と外交関係をもつアジアの有力な社会主義国です。日本政府がこの国の承認を一貫して拒否してきているのは、かれらがあの日韓条約によって韓国の朴政権を、全朝鮮の代表者であるかのように見なした、恥ずべき虚構の上にいぜんとして立ち朝鮮民主主義人民共和国にたいして敵視政策をとり続けているからです。日本政府の政治的後進性を示すこの頑迷な態度をあらためさせるために、わが党は今後ともたたかっていくものです」(77年10月17日)
朝鮮労働党のためにたたかってきたのが日本共産党である。もし当時、共産党の主張どおりに北の代表団を入国させていれば、さらなる拉致工作が行われていたかも知れない。共産党こそ「恥ずべき虚構」の上に立って朝鮮労働党政権を朝鮮半島唯一の合法政府と位置付けてきたのである。まさにその時、拉致事件が起こったのだ。共産党は欺瞞的言動を止め、拉致被害者と家族に謝罪しなければならない。


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