思想新聞2002年7月1日号 共産主義は間違っている!!
摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 13
必然的展開の帰結として登場した社会主義理論
トクヴィルの予言と危惧
Q 1871年の「パリ・コミューン」って何でしたっけ? 確か授業で習って名前だけは覚えていますが…。
A このパリ・コミューンとは、1870年の普仏戦争でフランスがプロシアに敗れ、ナポレオン三世による第二帝政が終焉。混乱の中で、「世界で初めて」労働者階級による政府が一時的に成立した事件(わずか8日間の出来事)とされています。しかし、先述のトクヴィルは、確かに階級対立と逆転による政府転覆について予言めいた記述を残しました。
長谷川三千子・埼大教授の『民主主義とは何か』から拾ってみましょう。
《「われわれすべては民主主義の洪水のただ中に置かれているのだと私には感じられた」と語るトクヴィルは、改めて「不気味なもの」「得体の知れぬもの」としてこのデモクラシーの実像を見ることになったのである。…「これまで誰も予見しなかったし…われわれ自身も想像できなかったような、より完全でより深いところに達するような社会変動に到達するのだろうか。それともあの断続的に起こる無政府状態、かつての民衆の間でよく知られたあの周期的に起こる不治の病に、おそらく到達してしまうだけだというのか。…」
彼がここで念頭に置いているのは、社会主義という新しい理論のことである。彼はすでに二月革命の直前に、こう予言していたのであった。
「いくばくもなくして政治闘争が展開されることになろうが、それは持てる者と持たざる者との間で闘われることになる」
トクヴィルは、この社会主義を「二月革命の哲学」と呼び、「二月革命の基本的な性格」であると位置づけると同時に、それを二月革命の「最も恐るべき思い出としてあり続けるであろう」と述べる。そしてそれがいかに人々の「ねたみ心をかき立て」、途方もない無秩序を生み出したかを克明に描き出すのである。
けれども一方で、彼はこの社会主義の理論が、いきなり「世界に不意打ちをくらわせる」ような仕方で出現してきたものではなく、フランス革命以来の60年間を通じて、ほとんどその必然的な展開の帰結として現れてきたものであることを認めざるをえない。言いかえれば彼自身、若い頃には無邪気に信奉して疑わなかった民主主義が、この社会主義の生みの親にほかならなかったことを認めているのである。
…1871年まさにトクヴィルが予言したとおりの「持たざる者」による革命が起こる。しかしこの「パリ・コミューン」は、8日間の間「プロレタリアート独裁」の政府を打ち立てただけで、8日後に行った民主的選挙の結果、渾然たる連立政府に移行してしまい、さらにその2カ月後には対立勢力との市街戦に敗れて消え去ってしまう。
この「パリ・コミューン」なる出来事をどう評価するにせよ、これを見て一つ確実に言えるのは、フランス革命の後の百年間、フランスの民主主義は、ついにバークの言う「時効の完成」を成し遂げることなく、トクヴィルが沈痛の面持ちで予言したとおりに漂流し続けた、ということである。》
トクヴィルは階級対立・闘争という方法では、根本的な解決にならない「周期的不治の病」と見なしたわけです。
しかしこのクーデタにマルクス=エンゲルスら共産主義者らは大いに鼓舞されましたが、「組合主義」「プルードン主義」と断じ、空想的社会主義の域を出てないと批判しました。また英国はその急進性ゆえに、第一インターナショナルを脱退することになります。


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