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性差なくせば女性差別はなくなるか 社会破壊する単純化フェミニズム

思想新聞2002年11月15日号【視点論点】

評論家 小浜 逸郎氏

 1999年の男女共同参画基本法制定以来、自治体はじめ「上から」広まったジェンダーフリー思想。これは行政の中に単純化されたフェミニズムが密かに忍び込んでいる。
 女性差別はむろんなくす必要があるが、単純化されたフェミニズムは、「女性差別の根源が男女の性差にあるから、性差をなくすのがよいことだ」と思い込んでいる。そしてジェンダーフリー教育で性別不明なキャラクターでチェックを実施し「差別度」を診断している。

フェミニズムの3つのアポリア

 フェミニズムに抜き難くあるおかしな考え方が3つある。1つは、自分たちが被害者である全ての女性を代表すると思っていること。個々の女性の不遇感がすべて女性差別のわけではなく、男性も子供や年寄りも、それぞれ制約された不遇な条件下で頑張っている。しかし、フェミニズムは何でも男と女という対立項で社会を分類、男は支配者で女は被支配者であると規定し、全女性の被害感覚は自分が代表するかのように言い張る。
 2つ目は女性差別の根源は男と女の性差にあり、性差をなくさなければ差別は解消しないという考え。性差と差別とを分けずにセットにしている。
 3つ目は社会に出て男並みに仕事をするのが女性解放だとの考え。出産前の女性が仕事をするのは今や当然だが、かといって誰もが職場で容易に自己実現できるわけがない。挫折感を味わい、悔しい思いをするか、誰もがわかる。それが分からずに、裏返しとして専業主婦を蔑視し敵対視する。これは多様な生き方を認めよという彼女らの主張そのものにも反することだ。
 制度は日常生活から乖離したところで行われ、実際に異性との交際や結婚、夫婦で暮らしている場面では、性差をなくせなどという理念は出てこない。家庭の役割分担にしろ、夫婦が互いに了解していればよく、融通の利くところで人間は生きている。行政の世界は四角四面で単純な議論が浸透するのに都合がいい。
 文科省でジェンダーフリー・チェックテストのような資料作成予算を無検閲で通し問題化、福田官房長官が不快感を示した。この推進派勢力は巧妙でトップに上げる喫緊の課題でも、日常生活で杓子定規に守らせるものでもない。また柔らかい頭の子どもが集まっている教育の世界は恰好のターゲット。その辺を狙い、地方自治体のレベルで浸透させたのだろう。
 ジェンダーフリー先進国スウェーデンでは、女性の職業はサービス業や福祉関係などに限定され所得も低いが、女性が望んでいる部分でもある。豪州の調査でも、収入面を度外視すれば仕事よりも家庭を大切にしたいという女性が圧倒的に多く、仕事を生きがいにしたいという人はわずか五%。日本の場合はパートという知恵とM字曲線の谷間(出産・育児で仕事を休む期間)が深く、女性にとってむしろ暮らしやすい。社民系のフェミニストたちは、その谷間を埋めスウェーデンや米国並みにと言うが、それはとんでもない勘違い。この国々は離婚率が高く、夫の地位や経済力を当てにできず、女性は仕方なく経済的自立を考える。それを「理想」と考えるのは全く浅薄だ。
 ジェンダーフリーにある極端な個人主義思想は、フェミニストにとり曖昧だ。社会で生きていくため自己を限定される制度を全部取り払えばいいと考えている。が、それを突き詰めると、例えば生まれた子供を誰が責任もって養育し、個人の多様な欲望を誰が管理するかという問題が生じる。それは家族の問題と同時に、政治権力、社会権力の問題だ。だがこれを顧慮せず何でも欲望の解放を主張する。これを放置すれば必ず一種のアノミー(規範や価値観のない混沌)状態に陥り、それを掌握するには全体主義的な強大な権力が必要になる。
 学生時代に反権力デモをしたという文科省の小野元之事務次官は「世の中を変えるため公務員になった」と語ったが全共闘世代にそういう人が多い。世代は少し下だが、「ゆとり教育」を進めてきた文科省の寺脇研審議官もその傾向があり、結果的に社会破壊に結びついている。
 為政者の責任とは思想的なモラルの問題というより未来を見通す認識力とか、明晰なビジョンを持つ構想力の問題。破壊衝動めいたものが無意識にあり、きちんとしたビジョンを立てる力もなく権力構造を変えるというのは困りもの。男女共同参画法にしろゆとり教育にしろ、どうも結果的に秩序破壊的な方向に動いている。(取材・協力=世界思想、文責=編集部)

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