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File-60 トクヴィルの恐るべき認識

「民主主義」「人権」の言葉の吟味を怠ったマルクス

思想新聞2002年7月15日 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 14

多大な影響与えたシェイエス

根拠薄弱な「革命の理念」

Q バークとトクヴィルがそれぞれ、1789年のフランス大革命、1848年の2月革命という歴史上重要な「革命」についての考察と分析を行ったというのはわかりました。
 彼らの論考が今なお、思想的バックボーンとして保守派論客に援用されている事実から見ても、その分析がいかに鋭いものであったかが窺い知られます。
 自分自身も政治家として活躍したトクヴィルの言わんとするところは要するに、「革命の試み」「革命の理念」というものが、いかに根拠として、大義名分として、薄弱なものであったのか、ということだったのでしょうか。

シェイエスの「第3階級とは何か」

ええ。まあ、そういうことだと言えるでしょうね。もっとも、「パリ・コミューン」の挫折を批判的に検証したマルクス=エンゲルス一派にとっては、革命理念の「不徹底性」を指摘して、「暴力革命」という方向に拍車をかける形になった、と言えるわけなのです。
 ところがそこには、実はこれが重要なポイントなのですが、「民主主義とはなんたるか」「人権とはなんたるか」などという言葉の吟味など、皆無に等しいものでした。
 若きトクヴィルが「無邪気に信奉してやまなかった民主主義こそが社会主義の生みの親にほかならなかった」という恐るべき認識など、マルクスらにとっては夢にすら考えもしなかったでしょう。つまり、「社会変革」に対しては極めてラディカルな手法をもって、左翼勢力を結集しようとしましたが、その「革命」という至上の「目的」の前には「民主主義の理念的基礎づけ」など、「方便」にすぎなかったからにほかなりません。
 また、マルクスが「哲学的党派性」という概念を根拠にしてプロレタリアート独裁を正当化したわけですが、実は民主主義と人権を考える上で重要なのが、フランス革命でルソーとともに革命の理論的支柱となった修道院長アベ・シェイエスでした。ルソーについては、先にも「現代に生きるルソー主義」に対して渡部昇一・上智大名誉教授が警鐘を鳴らしていることに言及しました。
 このシェイエスの『第三階級とは何か』は当時一世を風靡しました。正式なタイトルは「第三階級とは何か? それは《すべて》。今日まで何であったか? 《零》 。何になろうとするか? 何ものかに」というものでした。
 これは、「封建的特権階級20万人のために2500万人の国民(第三階級)が塗炭の滲苦を嘗める不合理を告発し、三部会への権利要求を掲げた」ものでした(三部会とは三階級が一同に会する議会で、極めてまれにしか招集されなかった)。この時、シェイエスの掲げた要求は次のようなものでした。
 【1】第三階級の代表者は真に第三階級に属する市民の中からのみ選出せらるべきこと【2】第三階級の代議士が3つの特権階級の代議士と同数であること【3】三部会における票決は階級別によらず頭数によるべきこと
 という以上のようなものです。ここに今日でもなお「フランス民主主義の原点」を見る向きは少なくありません。
 しかしながら、佐藤功氏が『日本国憲法概説』で「国民主権とは元来、闘争的概念である」と喝破した点を、長谷川三千子埼玉大教授はこのシェイエスの著作から、「国家主権が革命と切り離しがたく結びついている」(『民主主義とは何なのか』)と評しているように、さらに民主主義と「主権」問題について論じられるようになってきました。

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