思想新聞2002年7月1日号【1面TOP】
反対論は根拠ない愚論

今国会の最大のテーマであった有事関連三法案の成立が危うくなっている。国会審議が秘書給与疑惑や「ムネオ疑惑」、さらには防衛庁リスト問題などの影響を受けて遅々として進まず、政府は有事法案成立を断念したと伝えられる。同法案をめぐっては与党内からも不協和音が聞こえてくるが、有事法整備は国家にとっては基本法であり、国民の平和と安全を守るのは政治の第一の責務のはずである。有事法案への小異を捨てて大同につき、今国会成立を期すべきである。改めて有事法案反対論の間違いを指摘しておこう。
有事関連三法案について共産党や社民党などの反対派は「アメリカが海外で戦争をはじめたとき、自衛隊が参戦できる仕組みをつくるもの」「日本がどこからも攻められていないのに、海外での武力行使に踏み切ろうというもの」と主張している。だが、これほど有事法案の真意をねじ曲げた愚論はない。
有事法案は他国に戦争を仕掛けたり、海外で武力行使するためにつくる法律では決してない。法案のどこを読んでもそんなことは出てこない。日本が武力攻撃を受けたり、戦争を仕掛けられたとき、国民の生命・財産や国土を守ることは政府の第一の責務であり、それをまっとうしようというのが有事三法案にほかならない。
こうした反対論の根底にあるのは、非武装中立論や自衛隊違憲論である。しかし、憲法9条の「戦争放棄」は自衛権を放棄しているわけではなく、自衛隊合憲は最高裁判決で確定していることだ(昭和34年、砂川判決など)。また国際法も自衛権を認めている。すなわち国連憲章51条は個別的自衛権と集団的自衛権を国家の「固有の権利」と明記している。
有事法案はこうした国際法と日本国憲法で認められた「個別的自衛権」をどのように具体的に行使するか、つまり「デュープロセス」(適正手続き)を決めようというものであり、自衛権を「固有の権利」として持つ国家としては本来、基本法として整備しておかねばならないものだ。
反対派は戦争に「国民を強制的に動員し、自由と人権までもしばろうというのが有事法制」と決めつけているが、これも事実無根である。このことは法案をみれば一目瞭然だ。第1に「武力攻撃事態法案」は、政府の法案提出理由にあるように「我が国に対する外部からの武力攻撃(武力攻撃のおそれのある場合を含む)が発生した事態または事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態への対処」について定めているのだ。
第2に「安全保障会議設置法改正案」は、武力攻撃事態等に対処するに際して安全保障会議の役割を明確にし、かつ強化するために改正するものだ。第3に「自衛隊法改正案」は、自衛隊が防衛出動を命じられたときにその任務をより有効かつ円滑に遂行し得るために諸態勢を整備しておくための法律案。いずれも国民の生命・財産や国土を守るための法整備だ。
一部に冷戦時代の古い発想の戦争はもはや起こらないとの批判もあるが、はたしてそうだろうか。北東アジアには冷戦構造が残っているし、仮に冷戦構造が終わってどのような情勢になろうとも、武力攻撃を受ける可能性がゼロでない限り、独立国家として有事法を整備しておくことは当然の「固有の権利」であり、国民に対する義務だ。
また有事関連法案が「武力攻撃のおそれのある場合」と「武力攻撃が予測されるに至った事態」と使い分けされていることについて「定義があいまい」との批判もある。政府見解では「予測」は「おそれ」の前段階で、たしかに定義はあいまいだ。だが、定義を明確にした場合、敵国に手のうちを見せてしまうことになるばかりか、あらゆる事態に対応する融通性が拘束されてしまう。だから本来、こうした定義は曖昧であっても容認されてしかるべきものだ。
備えなければ無用の混乱に
一方、武力攻撃事態法案第9条には「政府は、武力攻撃事態に至ったときは、武力攻撃事態への対処に関する基本的な方針(対処基本方針)を定めることにする」とあるが、これに対して武力事態に至ったときに基本方式を決めていては手遅れになるとの指摘もある。たしかに有事になってから対処基本方針を検討していては手遅れだ。だが、こうした基本方針は事前に立案しておくのが常識で、当然、対処基本方式は直ちに定められると解釈すべきである。
自衛隊改正法では防衛出動時にいわゆる塹壕(ざんごう)などの「防衛施設」を民間地に作ることや緊急通行などを定めており、一部で財産を侵害される可能性があることは否定できない。しかし、有事法制は武力攻撃を受け戦争を仕掛けられないかぎり、まったく使われることがない法律であることを忘れるべきでない。だからこそ「備えあれば憂いなし」にすべきなのであり、その意味で「宝の持ち腐れ」になることが最も願わしい法律なのだ。
しかし、有事すなわち日本に対して武力攻撃、戦争を仕掛けられたときを想像すべきだろう。昨年の米国ニューヨークの同時テロ事件の比ではない人命損失、人権侵害が大掛かりに起こり得るのだ。これに対して「備え」がな ければ、無用な大混乱に陥ることは必至で、その結果、国民の生命と財産を守ろうと焦る余りに、逆に国家権力によって超法規的に縦横無尽に家屋が破壊されたり、財産を収奪、あるいは自由を奪われる事態も起こり得るとされる。
こうした最悪の事態を防ぐためにも、我々は平時にこそ有事法制を文民統制(シビリアンコントロール)によってきちんと整備しておく責任があるといえる。
首相権限一元化 危機管理の常識
反対派は「発動の決定から、自治体や国民を指揮するのも首相であり、国会や地方自治体はないがしろにされる」と主張する。だが、武力攻撃を受けた、あるいは武力攻撃が予想されるという緊急事態において、それに対応する指揮命令系統がばらばらであっては、かえって国民の生命と財産を守れない。むしろ国の総責任者である内閣総理大臣に権限を一元化して、速やかに対応することが危機管理においては要諦(ようてい)であるというのが常識である。
だから、いずれの国においても大統領や総理大臣に権限を一元化して危機管理に当たっており、有事法案もそうした立場から立案されている。有事法案は決して国会や地方自体をないがしろにしたものではない。こうした分野にまで地方分権を主張するのは地方自治法の精神から逸脱し、結果的に住民の生命と財産を守れなくするものだ。
また避難誘導や被害の復旧措置などをはじめとする国民の権利を保護する法案がないのは国民軽視との批判もある。たしかに国民保護法案は必要不可欠といえる。政府もこの点を認め、1年以内に整備するとしているとしている。民間防衛策や国民保護法案は早期制定が望まれるのであって、こうした法整備がないことをもって有事法案の成立に反対する理由にはなり得ない。
いずれにしても有事法制は国家の基本法制である。基本法制が存在しない異常事態に終止符を打つべく、今国会での有事法案成立は全力を挙げるべきだろう。


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