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File-86 人間の「獣性」礼賛するポストモダン

思想新聞2003年9月1日号 共産主義は間違っている!!

摩訶不思議な「人権真理教」国・ニッポン 40

倫理道徳の否定から文明全般への反旗に

存在神秘としての愛

Q 「生命尊厳の核(根拠)」として「愛」が在るということですね。しかし、愛は目に見える実在ではない、愛は実体がないではないか、という考え方がありますけれど…。

 はい。「実体のない幽霊のような存在である《愛》に、どうして生命の尊厳や存在根拠を見いだせるのか」ということになります。
 また、人間の理性では量り知れない、深層心理をえぐり出したのが、フロイトですが、彼の流儀によると「愛とはなべて性愛とその変形でしかない」とする考え方になってしまいます。 
 では喜びとか愛という「情念」が、純粋な物質的実体に何ら影響を与えるということはないのでしょうか。即物的還元主義や唯物論にとっては、「ナンセンス」に映る問題です。これもフロイト学派にとっては「本能」が駆り立てるものであって、だから「本能性」に還元されるべきものにすぎない、ということになるでしょう。しかし人間の性愛にしても、動物的本能とは次元が異なるということは明らかです(いわゆる発情期がないなど)。営々と築き上げてきた人間の文化・文明は、その異質性を認めて成り立ってきたのです。
 ところが、マックス・ホルクハイマーらのフランクフルト学派やミシェル・フーコーなどの「ポストモダン」の思想家によれば、その異質性を認めることすら「差別」と見なされてしまうのです。つまり、端的に言って「獣性万歳」「野蛮礼賛」ということになります。こうした混沌・無秩序状態においては「人間の尊厳性」「生命の高貴さ」は生まれるべくもありません。
 ドイツの文豪ゲーテは畢生の主著『ファウスト』の「天上の序曲」の中で、悪魔メフィストフェレスをして「人間には獣のように振る舞うことのできる自由もある」と言わしめました。また、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」では悪魔サタンを「獣」と記しています。
 つまり「獣」「獣性」という表現は、「尊厳性」「高貴さ」とは対極に位置すべき概念であることがわかります。
 このように、「ポストモダン」の思想が、ことさらに「野蛮」「未開」「獣性」そして「反文明」を強調し、それにどっぷりとのめり込んでしまうという構図は、マルクス共産主義が「支配―被支配」という階級社会のない(と信じた)「原始共産主義」社会をユートピア視するのときわめて相関的だと言えるでしょう。
 従ってこれが必然的に「文明の否定」ということにつながります。文明形成の過程で営んできたあらゆる道徳・倫理・規範を否定しさること、それが実は情念的には、フーコーなど彼ら自身の(同性愛といった)マイノリティとしての立場を社会に認知させることだった、というカラクリが潜んでいるのです。そしてそれが「文明の最先端」ともいうべき「グローバリズム」全般への反旗となって翻っていることは論を待ちません。
 愛という存在について敷衍すれば、日本の代表的哲学者・西田幾多郎は、「純粋経験こそ唯一の実在である」(『善の研究』)としました。またハイデッガーは、「出来事としての存在」を説きました。これらはいずれも、素朴実在論と還元主義的唯物論に対しての明確な「否」を唱える論拠と言えます。そこで「存在と神秘しての愛」に言及できることになります。

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