【思想新聞2001年3月15日号 視点論点】

米ワシントン・タイムズ紙記者
ビル・ガーツ 氏
メディアと政治に関連した米国の「報道の自由」について何点か話したい。
一つは、諜報機関の諜報員名の公表は憲法違反となる。70年代にCIA幹部が公表されて殺された事件があった。以後、その公表が法的に禁止されたのだ。
二つめは通信技術分野で、この技術を通じ極秘入手した情報(盗聴など)の公開は違法となる。80年代にスパイ事件が起こり、メディアが盗聴機関の存在を報道しようとしたら、その法律を基に違法として政府が動いた。法がどれほど効力があるかは疑問だが。
三つめはメディアの協力・競争。ワシントンではメディア間競争が激しく、一つのニュースを数千の記者が追っているほど。だから記者は入手した情報が正しいか否か判断する能力が問われる。間違った情報を報道したら、信用性は一気に崩れ落ちる。「メディアへの信頼性」・・これが最も重要な報道の精神だ。情報入手は大事だが、同時にその正誤を判断し分析・評価することを、私は記者として心がけている。
四点めはスクープの問題。独占記事をいかに多くするかが重要になる。
最近、米国で「天安門文書」という本が出た。それは中国共産党の内部文書が流出、元高官が匿名で書いたもので、学者により真実と判断された。それが「メディアと政治の安定性」を考える点で非常にいい材料となった。
例えば、「人民日報」89年4月26日付論説は、学生運動への批判だった。民主主義を訴える学生の反政府運動を「反政府主義者の不法活動」と断じ、党は非常な危機感をもち、この論説を機に弾圧を開始し、6月の軍隊を動員しての「天安門事件」となった。
このように中国では、メディアが政治の安定の「道具」として使われる。中国の友人によると、例えばテレビに瀋陽の平和な様子が映ると、中国の人々は、そこで何か大変な事件が起こった、と逆の判断をするという。だから、機密情報を出版するには大変な勇気が要る。
新聞は競争が激しいため特ダネを書き、政府の政策が正しいか否かを調べる。例えば、海外派兵した軍隊を実際に監視することも必要ではないか。その意味でメディアの責任がそこにある。
米国の建国の父祖は、言論・出版の自由が民主主義では不可欠なものと考え憲法を作った。とくに権力分立の観点でも、言論の自由が必要だ。この「自由」は民主主義のカギを握るもので、それによって政府をチェックできる。そして問題を明らかにして議論を広げ、問題の解決につながる。メディアの使命は、問題解決にあるのではなく、問題提起にあると言える。
私は今回、靖国神社に詣でて英霊に参拝した。そこに特攻隊等で「靖国で会おう」と散った英霊たちが祀られている。日本は国を守るためにそういうことをした。だが記者として私は、そうした問題が今日あれば、どう考えればよいか悩む。自殺行為を促す作戦を見たらどうすべきなのかと。
とすれば政府とどのような関係を持つべきか。具体例を示そう。一つは米ロ首脳会談で入手した「取引き」を示す機密文書だ。クリントンがエリツィンに「お互い再選の身。有権者を刺激すまい」と、ロシアでは輸入禁止の鶏肉を生産する畜産農家(地元アーカンソー州がその40%を占める)に便宜を図るよう求めたのだ。これは比較的機密性は低い例だが、「取り引き」は往々にして行われる。
私は、国務省報道官にこの報道を打診すると、「大統領には各国元首との私的会話の権利がある」から控えてという。だが私は「国際安全保障に関する問題が出た場合、社内基準に従い報道するのが当紙の方針。また新聞社はその権利がある」と言った。すると報道官は「ボス同士話し合おう」と提案し「愛国者なら記事にすべきでない」と言う。しかし結局、記事にして実際大きな影響を与えた。
このように、政府間の秘密協定がわかった場合には、我々は明確に入手した時点で公表する義務があると考える。
米国政府では現在、中国脅威論の正否について討議がなされている。私はこの問題に関し多くの記事や本を書いた。その中で、新しい千年期に対して新しい方向性が定められるとするならば、それはまさに「正しい情報を、正しく報道する」ということではないか。特にメディア、新聞・テレビはじめインターネットなどにおける正しい展開こそが重要であろう。
(1月17日、東京での世界言論人会議におけるスピーチ要旨、文責=編集部)


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