思想新聞 平成9年(1997年)6月15日号
- Q 時事通信が6月7日、北京電で白鳥事件の主犯格の鶴田倫也容疑者のインタビュー記事を配信し、これが各紙に掲載されています。この白鳥事件って、共産党と関係があったのですか。
A 昭和27年のことですから、大半の国民にとっては生まれる前の出来事です。白鳥事件というのは、同年1月21日夜、札幌市警察本部の警備課長だった白鳥一雄警部が帰宅途中に共産党札幌委員会所属の軍事組織である中核自衛隊のメンバーに狙撃され即死した事件です。この殺害計画の首謀者は同党札幌地区委員会の村上国治委員長(懲役20年確定=94年死亡)で、実行犯グループの中核自衛隊隊長が宍戸均、副隊長がインタビューで登場した鶴田倫也、ブローニン拳銃で射殺したのが佐藤博と断定され指名手配されました。だから、共産党がしでかした殺人事件ですよ。 - Q その犯人がなぜ今頃、北京に在住しているのですか。
A 宍戸ら3人は静岡県の焼津港から漁船で中国に逃亡したのです。当時の共産党幹部は中国に逃亡し、そこから日本国内の共産党を指導していました。鶴田らも共産党の地下組織の手引きで中国に逃亡したのです。その後、消息が不明でしたが、どう心境が変わったのか、時事通信の取材に応じて生存が確認されたわけですね。他の二人は数年前に死亡したそうです。 - Q なぜ共産党幹部は中国に逃亡する必要があったのですか。それに殺人までやっていたのですか。
A 共産党は今年、党創立75周年を祝っていますが、その75年の歴史が何たるかを知る上でも、当時の共産党を見ておく必要がありますね。まず当時の日本共産党は昭和25年1月にソ連指導下のコミンフォルム(国際共産党情報局)から平和革命路線を批判され、暴力革命路線に転換していました。
同年6月に北朝鮮が韓国に南侵し、朝鮮動乱が勃発したことはご存じですね。つまり、ソ連は朝鮮半島を共産化するために金日成に南侵を命じ、米軍の後方基地となる日本に対しても暴力革命を命じたのです。昭和26年に暴力革命路線を明記した「51年綱領」を採択しました。共産党幹部らは地下に潜ったり、徳田球一書記長らのように北京に渡って武装闘争を指示したのです。 - Q その一環が白鳥事件なのですか。ということは、警察官が襲撃される事件がほかにもあったのですか。
A あったどころではありません。東京・練馬署の引藤巡査殺害事件(昭和27年1月)や長野・田口村警官襲撃事件(同2月)など枚挙にいとまがありません。なにせ、朝鮮動乱に呼応して、武装闘争で政権を奪取しようと考えていたわけですから。それで警察官だけでなく、税務署を襲ったり、村の有力者を襲ったり、全国各地で中核自衛隊を組織し武装闘争を展開していたのです。 - Q 隊員は何人ぐらいいたのですか。
A 8,000人以上もの一大軍事組織でした。時限爆弾や火炎ビン、それにラムネ弾などを製造し、また拳銃なども手に入れ、これらを武器にして暴れていたのです。この製造法などはその後の過激派の教本となったほどですよ。


コメント