【思想新聞2004年6月1日号】ポストマルクスの群像10
修正主義論争・4
前回に続いて、ベルンシュタインの主張した「(経済的)自己責任論」とマックス・ウェーバーと共通している点について、亀嶋庸一・成蹊大教授の『ベルンシュタイン』を参考にしながらもう少し補足してみます。
自身の立場がドイツの政治的・経済的後進性を払拭して「強国政策」をドイツに可能とさせるべく「国民の内的統一」を創出しようというナショナリズムが根本にあったとされるマックス・ウェーバーは、「政党の官僚制化」に深い関心を持ち、この点について社会民主党がその考察・分析の対象ともなり、その分析は、単なる一政党の範囲を超えた官僚制化一般について踏み込んだ考察がなされていると見られています。
ウェーバーによる社会民主党を批判的に考察した「覚え書き」は、社民党のブランクという人物の論文に応えた形のものでした。ドイツ社民党は、エンゲルス存命の頃から比べても更に躍進して、1903年の選挙では30議席以上も増やし81とした結果を踏まえ、総得票数の4分の1が「非プロレタリア階級」からのものであったとし、もはや「プロレタリア階級政党」ではなく、「自由・平等・社会進歩をめざす様々な社会階級の民主的要素が合同した大連合政党」であり、今後さらに「国民政党」化するだろう、と予測したものです。
実はこの帝国議会選挙の行われた1903年に、ドレスデンで開かれた党大会で、ベーベル、カウツキー、ローザ・ルクセンブルクらの激しい非難によって、ベルンシュタインの「修正主義」が公式的に「異端」の烙印を押されることになったのです。
ウェーバーは、楽観主義的なブランクの論文を、統計的数字ではなく内面的な動機・エートス(規範様式)の次元から分析しました。
「この問題自体は、純粋に統計的な調査に基づいては解決し得ない。なぜなら真に重要なのは、非プロレタリアの人口階層も社会主義者に投票しているという、単なる数字上の証明では決してなく、党の内的性格とそこから生じる党の政治的態度が、非プロレタリアの要素によって、いかなる影響を蒙るのか、という問いに対する答えだからである」(「覚え書き」)
また、ウェーバーは1905年のマンハイムでの社会政策学会で「社会民主党で急進主義が伸びてくると、また、自由主義を、ましてや自由主義の左派を犠牲にして社会民主党が伸びてくると、それは必ずあの連中(保守的指導層)にとって現金収入となる。ドイツの政治が反動化してくると、社会民主党で禄を食むものの現金収入が増えるのと同じことです」
この発言について、『ベルンシュタイン』で亀嶋庸一・成蹊大教授はわかりやすく説明しています。
「一方で『党受禄者層』の『保守的利害関心』に発する党組織の自己目的化傾向は、外見的には、古い革命的世界観を社会民主党に温存させる。その結果、党が自由主義左派との同盟を拒否し、帝国議会においてポジティヴな影響力を欠いた《原則的に反対する少数派》の立場にあくまで固執する限り、状況は大工業家やユンカーにとって好都合なものとならざるをえない。他方で、反動政治の存続は、労働組合にとって社会民主党の存在を不可欠なものにする」として、「資本家階級と社会民主党の代表者は外見的には対立していながら、事実上利害共同体を形成していることになる」。これが、社会民主党の官僚主義化の帰結と言えるというわけです。そこで「資料」にある発言が登場します。
ウェーバーはマンハイムの党大会を傍聴して、大会全体を覆う「小市民的雰囲気」と「革命的情熱を欠いた議論」と、政治的無力感が党を支配しているのを感じたというのです。
さて、ちなみに、このマックス・ウェーバーの分析は、労働組合の問題はともかく、恐ろしいほど見事に日本の左翼政党(社民党・共産党)に当てはまります(もっとも現在の自公与党が、ドイツ第二帝国ほどの「反動政治」とはとても言えないでしょうが)。すなわち、「何でも反対する」ことによってしか、党の存在意義を見出しえないという状況です。それが顕著に物語っているのが、憲法問題でしょう。「ダメなものはダメ」という論理で「改正論議」そのものを葬り去りたい、という「拘り」を見せることによって、かえって世論の動勢から乖離し、政権与党を安泰にさせている、という状況をつくっているというわけです。少々誤解を恐れずに言えばこれに対し、国民世論の現実的ニーズを掘り起こして、政権を担える政党に脱皮しようというのが民主党で、「変革」を最も恐れているのが「体制派」だということになります。
ともあれ、ドイツ社民党の「官僚主義化」(=組織の自己目的化)に対してウェーバーが抱いた印象は、案の定そのまま、社会主義・共産主義の社会体制下でそのまま実現してしまうことになります。ある意味では、このような「官僚主義化」(つまり、「スターリニズム」と見なしました)に反対してきたのが、「新左翼」と呼ばれる動きでした。本論稿で扱う思想とその人々も、どちらかと言えば、このニューレフトなどの流れに伍すると言えるでしょう。
しかしマックス・ウェーバーが期待していたのは、このような過激派路線に与することではなかったのです。むしろ議会制度を重視し、議会制民主主義を標榜しはじめていたベルンシュタインの考え方に近いと言えました。
このウェーバーとベルンシュタインとが議会制民主主義という点で通じていたのは、資本主義というものに対する基本的なスタンスが共通していたからではないかと思われます。
それは次のようなことです。ベルンシュタインの考え方は、社会学を確立したマックス・ウェーバーへある意味で決定的な影響を与えたとも言えますが、それは「社会観」や「資本主義観」においても通ずるものがあります。
すなわち、「始祖」マルクスをはじめとする「正統マルクス主義」では、資本主義というものは資本家が労働者から「搾取」することによって富を蓄積するものであるという、いわば「資本主義原罪論」に立っています。だからこそ、プロレタリア階級がブルジョア階級を革命によって打倒しなければならない、ということになるわけです。
しかし、現実の社会は、それほど単純ではありません。前回のイギリス体験をはじめとしてベルンシュタインは、資本主義の問題を、「悪」と決めつけない、つまり資本主義そのものに「原罪」を負わせて、「後は革命あるのみ」と安心しきってしまうような「知的怠惰」を潔しとしませんでした。つまり、資本主義システムの中に「自己解決能力」「自己制御能力」というものを見たと言えます。その延長上に、自らの「社会主義」があると見なしました。
ベルンシュタインは、「社会主義者の議論が、経済決定論的思考に影響されてユートピアとしての未来社会への自動的発展という楽観的な図式に立脚しているために、社会政治上の問題に対するリアルな認識に乏しい」と考えました。そして、官僚制化の進行、利害の多様化と個別的利害相互間の対立の増加とを現代社会の基本的傾向と捉えたのです。それで彼自身の提唱する「社会民主主義」を、経済発展からユートピアの自動生成を期待する決定論的思考への批判だけではなく、社会に必要な人間の質を、経済的オートマティズム(機械論)に依存することなく、意識的に創り出さねばならないという視点により、「経済的自己責任の原則」をもつに至ります。
こうした論点について、亀嶋教授は問題の本質を次のように看破しています。
「彼(ベルンシュタイン)が大衆を《慈善事業者》に貶めるような、単なる福祉国家の延長線上に社会主義を想定していなかったことは、こうした彼の基本的な思想的立場を見るならば極めて当然であったろう。なぜなら、組織化の時代の下で社会主義が官僚主義的福祉国家に陥ることなく、あくまで《自由人の連合》という理念を堅持しようとする限り、個人のエートスと対抗組織化の問題が不可避とならざるをえない事情をベルンシュタインははっきりと見通していた」
また、中西輝政・京大教授は「マックス・ウェーバーの学問は精密で壮大ではあるが、一つの時代に良く当てはまる社会科学的パラダイムで物事を細かく細分化し、それらを一見普遍的に見えるような形で概念化し、その間の因果関係を細かく検証し、ある意味でマルクス主義の方法とも大変よく似ている」とし「『社会科学の世紀』と言われる20世紀の知的傾向に大きな影響を与えた」(『国民の文明史』産経新聞社)とどちらかと言えば批判的ですが、ミクロ的に詳細に社会学モデルを追求したとは言え、ウェーバーは資本主義の影より光の部分を提示して見せたのであり、自己責任・自己解決という今日のシステム論的な意味でも、注目に価するでしょう。
資料
▼ M・ウェーバーによる社民党の分析
「社会民主党は、今日明らかに官僚の大軍を擁した巨大な官僚制の機械に、即ち国家の中の国家に変わろうとしています。……何よりもまず社会民主党は、国家の場合と同じく、《昇進》目当ての連中から成る、増える一方の軍隊を抱えています」(1907年、社会政策学会マグデブルク大会における発言)
■参 考 資 料■
【ウェーバーと資本主義】
「中国では異端裁判は確かに見られた。けれども、少なくともカルヴァン派ピュウリタニズムの不寛容に比べれば宗教的寛容の程度は遙かに広く、財貨公益の自由は遙かに大きく、安全、移動の自由、職業選択及び生産方法の自由なども存在し、商人根性に対する反感もおよそ見られなかった。がしかし、こうした事情をもってしても中国においては近代資本主義を発生させるには至らなかった。このようにして『営利衝動』とか富の甚だしい、排他的な尊重とか、あるいはまた功利主義的『合理主義』といったものも、ただそれだけではまだまだ近代資本主義とは無縁のものだという事実を、このまさしく典型的な営利の国土において我々は学び知ることができる」
これは実に興味深い指摘です。中国では、ピュウリタニズムが支配した頃のイングランドやオランダなど西ヨーロッパに比べると遙かに自由があり、営利の取り締まりなどはずっと少ない。
「現世肯定的な功利主義と、富を全面的な道徳完成のための普遍的手段として評価するような、富の倫理的価値に対する確信は、人口の驚くべき稠密さと結びつきつつ、あの勘定高さや節約という性質を、他国では到底見ることができないほどにまで高めた。…信憑できる旅行者の報告によると、貨幣や貨幣に関する事柄が他国ではちょっと見られないほど近隣の人々の間で話題になっていた。ところで、極めて重要なことには、少なくとも経済の領域で近代資本主義成立の不可欠な前提を成しているあの合理的で方法論的な性質の営業上の重要諸観念は、このように無際限に集約的な経済活動や、またしばしば非難される露骨な唯物主義の中からは決して生まれてきてはいない。そうした諸観念は、中国のどこにおいても全く知られていなかったのだ」
近代の資本主義を支えている様々な精神的な諸観念は、むしろこうしたピュウリタニズムのもつ別の側面、つまり営利的貪欲とはなじまない禁欲的な倫理が生み出したものだ、と言っているのです。
(大塚久雄・訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』解説より)


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