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ドイツから見た日本の憲法問題・上 占領政策が憲法制定で左右

思想新聞2001年4月1日号【視点論点】

日本大学教授
小林 宏晨 氏

 日独両国の憲法制定過程の違い

 英米民主主義に対しかつての日独の軍国主義は正当性の点でかなりの違いがあり、軍事力のみならずモラルにおいて負けたという認識が、第二次世界大戦で完敗したドイツも、日本と同様にある。
 しかし、ヨーロッパではそれまで何度も国家間の戦争があり、普仏戦争ではプロイセンがフランスを破り、ドイツが成立した。ところが第一次世界大戦ではドイツはフランスに負けた。つまり、ドイツは戦争に勝ったり負けたりしているので、日本のように歴史上初めて負けたのではない。そのため、日本のような敗戦ショックはなかった。例えば戦後、ドイツがNATO(北大西洋条約機構)に加盟し再軍備する条件に、ドイツ軍自体は悪い存在でないとの宣言を加盟国にさせている。
 ところが日本は「一億総懺悔」した。ドイツでは、悪=ナチスでそれ以外は悪くないとの認識。それが憲法の制定過程にも影響を及ぼしている。
 日本の憲法制定はドイツより早く、敗戦後遺症が強い中で行われた。重要なのは、日本は事実上、米軍の占領下にあったことで、そのため日本の安全保障は全く考える必要がなかった。しかも歴史的大敗の直後で、軍は持たない方がいいという前提条件があった。
 とはいえ、憲法制定過程でいろいろな修正が行われた。軍については、「自衛のためには軍を持っても構わない」という解釈が可能なように変えられた。それが忘れられていることが問題だ。
 ドイツでは憲法制定の際、軍を持ってはいけないなどという先入観はなかった。そして日本とは違い「自前」の憲法を制定し、これまで47回も改正している。現状に合わせながら改正・補足するのがドイツの特徴だ。
 1949年の憲法制定に際し、占領軍からは、ドイツを連邦国家にし、民主主義にふさわしい内容にするという大枠の要求はあったが、具体的な内容はドイツ人に委ねられた。もちろん、ソ連の占領下にある東側ではソ連的な憲法になったのだが、旧西ドイツを占領したのは英米仏三国で、それぞれ憲法の伝統が異なっていたため、一致してこういう憲法を作れとは言えなかった。
 ドイツの一番大きな憲法改正はドイツ連邦軍を創設する際で、次に非常事態憲法の制定、三番目は東西ドイツの統一時に行われた。

実質的変遷があった日本国憲法

 日本では社会党、共産党の勢力が国会の3分の1以上を制していたので、実質的に憲法改正は不可能だった。そのため、解釈によって事態を乗り切るしかなかったのだ。
 最初は、憲法の規定により軍は持てないとしていたのが、50年に朝鮮戦争が始まると、米軍の大半が出動した空白を埋めるために、マッカーサーの命令で政令により警察予備隊法が制定された。次いで51年の独立直後に、保安隊法が制定され、五四年には自衛隊法が制定されて今日の自衛隊が成立した。保安隊法、自衛隊法は内閣と共同で立法がなされたものなので、少なくとも政府と議会の多数においては、保安隊、自衛隊は合憲とされた。
 59年の砂川裁判では日米安保条約が違憲ではないと判決し、その根拠として、憲法は無防備、無抵抗を規定してはいないと述べている。そこから、侵略を受けた場合には抵抗する勢力があってもいいという推定が成り立つ。このように、解釈によって実質的に大きな憲法の変遷があった、というのが私の提唱する憲法変遷論である。
 憲法解釈には学理解釈と有権解釈があり、前者は学者が行い、条文の解釈論を展開し論理的に合憲、違憲を争う。後者は行政府・立法府・裁判所などいわば解釈権のある機関が行うものだ。学理解釈の任務は、有権解釈を行う機関に合理的な資料を提供すること。
 ところが、いわゆる東大憲法学は、学理解釈が有権解釈の上にあるとみなす。これは彼らの尊大さからくる錯覚。学理解釈する圧倒的多数は東大解釈論で、今でも80%以上の憲法学者は自衛隊違憲論を展開している。しかし、現実に即した憲法解釈は有権解釈が優先するもので、私は歴史的に自衛隊合憲論の方向で決着がついたと考える。(取材・協力=世界思想、文責=編集部)

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