思想新聞 1999年2月25日号 視点論点

領海侵犯の緊急事態に何ら打つ手なし
軍事評論家 菊池 謙治
日本の政治家とマスコミの軍事常識の低さは世界のトップクラスと揶揄されているが、今国会で展開された新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法案をめぐる論戦は、まさに現実無視の神学論争であり、木を見て森を見ずの例え通りである。
第一に、近代戦においても戦場を前線と後方に区分出来るという発想や、緊急事態に際して対応すべき日米協力について事前に国会の承認を得るべきか否か、同じく国から協力を要請された自治体や個人には協力する義務があるのか否か、また米軍に対する後方支援(この言葉も国際軍事用語ではなく日本的造語)を実施すべき地域は弾が飛んでくる場所か否か等、到底日本を守るべく米軍と共に戦うための法整備を論じたものではなく、最初から「自分の国は自分で守る」意志を放棄した空理空論にすぎない。
もっとも、こうした状態は戦後日本の政治家の宿痾(長く直らない病気)である。平成6年9月、PKOとしてルワンダ難民救援国際平和協力隊(480名)の派遣に際し、防衛庁は警備用として軽機関銃2挺の携行を要求したが、野党(社会党)の猛反対で予備の銃は持たせず結局1挺しか携行できなかった。また任務も限定されて警備任務はなく、現地で他国のNGO(非政府組織)から警備を依頼されても断ったため、「軍隊ではないのか」と訝しがられた。
この「機関銃1挺」式発想の政治家が、シビリアン・コントロールを錦の御旗として自衛隊の総司令官に就任したら、と考えると膚に粟を生ずる思いをするのは筆者のみではあるまい。
また、日本の領海空が侵犯されかねない危険な事態も多発している。昨年12月、対馬沖南西80粁で韓国海軍が北朝鮮潜水艇を撃沈した事件は、もし潜水艇が日本領海を侵犯したらどう対応できたか、という問題を提起した。このような場合、まず対応するのは海上保安庁の巡視船だが、相手が武装していたら当然海上自衛隊の護衛艦の出番だ。
しかし、海自の護衛艦には、「平時」において領海を侵犯した艦艇に対処する任務は与えられていない。この場合は「海上警備行動(治安出動に相当)」の発令が必要だが、首相の承認を要するから一定の手続きと時間がかかる。つまり、昨年8月のテポドン発射事件の時と同様、緊急事態に直面して右往左往する無様な状況を現出することになろう。
平成8年3月の台湾海峡危機の時、中国は台湾を威嚇するため中距離ミサイルM9を3発発射した。事実上、国際航路を狙い撃ちしたミサイルは2発が台湾南部の高雄市沖に、1発は北部基隆市東方沖に発射されたが、北部のミサイルは沖縄諸島最南端の与那国島北方60粁の海面に着弾している。この着弾海面は与那国島民の有力漁場だから島民に大衝撃を与えた。
実は入仲・与那国町長は、10年ほど前から日本最南端の国境の島として、自衛隊の基地設置を請願しているが、沖縄県も政府も、一顧だにせず、島民の不安は解消されていない状況である。
続いて同年9月18日、韓国東海岸の江陵市郊外で、北朝鮮潜水艦による武装工作員侵入事件が発生した。一見、日本には無関係のような事件だが、実は日本にとって重要な情報が二つもたらされている。
その第一は、潜水艦の艦底に大きな数個の古傷が確認されたが、韓国国防省によると、この傷は岩礁ではなく、テトラポットのようなコンクリートの固まりで擦ったものだ。だが、韓国ではテトラポットを使用しておらず、日本近海で行動中に出来た傷ではないか、と推定している。
第二は、上陸した工作員2名は11月5日に射殺されるまでの52日間、韓国軍6万による五重の包囲網を潜り抜け、のべ100粁の山中を移動しつつ、なお偵察任務を遂行した事実だ。その戦闘意志、任務遂行の気力・体力、士気の高さは、敵ながら天晴れと言うべきで、手強い相手であることを示した。もし、彼らが日本に潜入して、原発でも撃ったら、日本側が対応に手こずるのは、間違いあるまい。
その他、テポドン事件等があるが、日本の政治家やマスコミはその対応を真剣に論じたことがあるだろうか。本来、国家は常に発生すべきあらゆる事態を想定して最悪の場合に備えるのが原則である。さらに、日本の防衛は第一義的には自衛隊の責務だが、作戦遂行の基準たるべき交戦規定(ROE)、有事法制すらなく、集団的自衛権さえ認めずに、どうやって任務を全うしろというのか。
なお、付言すれば国家戦略の目標は、第一に国家の安全保障の確立であり、次いで国民の福祉増進にある。だが、日本は、戦後における感情的な軍事忌避の歪んだ思想によって、前者を顧みず、後者のみを追求する傾向にあるのは、まさに亡国の前兆と言わざるを得ない。


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