思想新聞2001年2月1日号 シリーズQ&A 共産主義は間違っている!!
フェミニズムの仮面を被ったマルクス主義 10
宗教はヒステリー性疾患と断ずる
国家=共同幻想はマルクスから
Q 吉本隆明氏の『共同幻想論』についてもう少し言及をお願いしたいのですが。
A 彼は『共同幻想論』の中で、「国家とは幻想化された性にすぎない」と断じているわけですが、このフレーズはよくよく調べてみると、吉本氏のオリジナルというよりは、マルクスに起因していることがわかるのですが、その前にフロイト的見解の影響について話しておきましょう。
『共同幻想論』が完璧にフロイト主義を援用していることの証左として、キリスト教史上でも傑出した「聖女」とされる聖テレーズ(テレジア)への言及があります。聖テレジアは、16世紀スペインのカルメル会修道院の尼僧で、43歳の時、「神が天使を使わし、焼けた金の矢で心臓を貫いた」という「脱魂状態」を体験して神に対する熱愛に燃え立つようになったとされた「恍惚の修道女」です。その神への愛というものを、「性的な恍惚感」と同一化してしまっています。確かにシャーマニズムというのは、一種の「心神喪失状態」で巫女が託宣を受けるという点では似ているでしょう。しかし、キリスト教というのは歴史的に負の側面はないとは言えないものの、人間の理性、つまり「知」を排除してきたわけではなかった。むしろ神学においてはプラトンやアリストテレスなど積極的に採り入れてきたわけです。仏教にしても、今日、「高等宗教」と呼ばれているものは、全面的な理性の排除はなかったのです。ただ、カントが結論づけたように、理性だけからは宗教的信仰というのは理解しえないという面は多分にあるでしょう。
フロイトによれば、芸術・学術から宗教に至るまで、あらゆる文化活動は、性的欲動が変化したものにすぎないとするわけです。ですからいかなる宗教の信者も、ヒステリー性疾患にかかっているのと同じだと見ることになります。しかし、実際にはノーベル賞級の科学者でも敬虔な信仰を持っているような人は少なくありません。歴史上でも、カトリックのジャンセニストだったパスカルのような大天才もいます。ニーチェは『権力への意志』でパスカルをカトリックの「広告塔」に堕落したと痛烈に非難していますが、それはどうも的外れのような感がします。パスカルの『パンセ』には理性と信仰の見事な融和が見られるからです。
わかりやすく言えば、「宗教は阿片」というマルクス=レーニン主義と「宗教はヒステリーだ」というフロイト主義が結びつくのは当然かもしれません。
ところで、マルクス主義体系の補完を企てた廣松渉(1934~94)は、マルクス=エンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』を援用して国家論を論じた『唯物史観と国家観で、既にマルクス自身が「幻想的な共同体としての国家」と見ていたと述べています。
ことに、マルクスとエンゲルスの手になる自筆稿をひもといた廣松は、『ドイツ・イデオロギー』には、マルクスの手によって「国家として自立的な姿態をとる、そして同時に幻想的な共同社会性(幻想的な共同性、幻想的な共同態性)として…」という文章が挿入されたのだというのです。ですから廣松は「幻想的という論点に関してはおそらくマルクスのイニシヤチーヴのもとに」立てられたと言っています。
こう見ると、マルクスは「空想的」「幻想的」という言葉を好んだようです。論敵を批判する上でということです。その上で自説はあくまで「科学」なのだ、という主張です。あたかも、現在の日本共産党が、マルクス=レーニン主義を「科学的社会主義」と言い換えている事実からすると、同じように背負った「宿痾」(しゅくあ=前々からかかっていて、治らない病気。持病。宿病。 )と言えるかもしれません。


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