この記事は2011年1月31日に投稿されました。
東京・秋葉原で無差別殺傷事件を引き起こした元派遣社員、加藤智大被告(28)に対する論告求刑公判が1月25日、東京地裁で開かれ、検察側は「日本犯罪史上まれに見る重大事件」と断じ、「模倣犯も発生し社会的影響も甚大」などとして死刑を求刑した。判決は3月24日に言い渡される予定という。死刑求刑は当然だろう。裁判で弁護側は起訴事実をほぼ認め、犯行時の責任能力を争点にした。だが、起訴前の精神鑑定では「精神障害は認められない」としており、事件3日前からナイフを購入し犯行を準備したことなどから、「現状認識や判断力に問題はなく、完全責任能力を有していたことは明らか」(検察側)と見るのが妥当だろう。したがって我々は死刑求刑を支持する。しかし、その背景については今一度、検証する必要があると考える。弁護側は加藤被告が母親の厳しい教育が人格に影響したと主張しているが、これには一理ある。もちろん被告は成人で、かつ自立した社会生活を営んでおり、親の養育責任が大きいとして罪を免れることはできない。
格差やワーキングプアは無関係。生い立ちが問題
秋葉原事件は2008年6月8日、派遣社員、加藤智大被告(当時、25)が2トントラックで歩行者天国に突っ込み、殺傷力の高いダガーナイフで次々と通行人を刺し、7人を死亡させ10人に重軽傷を負わせた凶悪な無差別殺傷事件である。なぜ凶悪犯罪に及んだのか。裁判でもあまり明らかになっていない。事件発生当時、メディアは格差や派遣の所為(せい)だといった責任転嫁論を声高に叫んだ。加藤被告は静岡県の自動車工場に派遣社員として勤務し、携帯サイトに派遣への不満を書き込み、そこから派遣やワーキングプアが凶悪事件を招いたと報じるメディアもあった。確かに、加藤容疑者にはいつリストラに遭うかという不安はあっただろう。しかし、自給1300円で月約20万円の収入があり、独身者の生活としてはけっしてプアとは言えない。本人も「他人に仕事を認められない底辺の労働の中ではマシな方だと思います」と携帯サイトに書き込んでいた。それがなぜ、凶行に走ったのか。
やはり生い立ちを見なければならない。加藤被告は長男として期待を背負って成長したが、親から異様に甘やかされ「親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強されられたから勉強は完璧」(本人のサイト書き込み)で、県内トップの進学高校に進んだ。だが、中学時代から親子関係が一層、歪(いびつ)になり、高校に入って勉学や部活に挫折。短大に進むも「高校でてから8年、負けっぱなしの人生」(同)と認識するようになり、職を転々として、ついに犯行に至った。
犯罪心理学者の作田明氏(聖学院大学客員教授)は米国ではこうした無差別殺人が増加したため、その心理的メカニズムの探求が進んできたという。それによると米国の場合、彼らの多くが普通以上の知的資質を持って生まれ育っており、長男であるケースも多く、幼い頃から両親の期待を担って成長。だが、両親に甘やかされて育った結果、脆弱な性格であることが多く、比較的小さなストレスでもそれを克服することが難しく挫折しやすい。「もともと甘やかされ苦労を知らずに育てられた彼らは自己中心的であり、社会的孤立から情緒的交流への志向を失い、更には自らの境遇が不当に悲惨なものだと思い込むことにより人類に対する憎しみが強まっていく」と作田氏は指摘している(産経新聞08年6月4日付「正論」)。日本の場合、①家族崩壊状態で子供が投げ出され、親族や地域社会のサポートが弱い②挫折した人々の再チャレンジの機会が少なく、放置されている③学校や家庭の状況がひ弱で対人能力の欠如した若者を増やしている─の3つを事件の背景に上げている。
「家族の価値」の再構築で再発を防げ
最大の問題は家庭であるのは誰の目にも明らかだろう。何が正しく、何が悪いかという価値観(規範)は本来、家庭でしつけられるべきだからだ。それが学校教育を通じて普遍化され、大人になって社会に出たときの行動基準となる。だから加藤被告がその道を違えた、最初の一歩は幼少年期にあったと見るのが妥当である。加藤被告だけでなく近年、通り魔が増加している。そうした事件を招く基礎的な背景は、家庭にあることを忘れてはならない。加藤被告の死刑求刑は当然としても、そうした凶悪犯罪の芽を摘むために家族の価値(ファミリーバリュー)を再構築することを改めて問いたい。2度と「誰でもよかった」といった無差別殺人事件を許さないために。
2011年1月31日


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