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イラク戦争で露呈した国連の限界・上

思想新聞2003年6月1日【視点論点】

日本大学法学部教授
小林 宏晨氏

理想求め現実に目を瞑る

設立時からの欠陥

 イラク戦争開始に際し、国連安全保障理事会を巡って米英と仏独の間で激しい駆け引きがあったが、結局、安保理は明確な結論を出すことができなかった。戦争を防ぐことも、戦争の原因を取り除くこともできなかったのだ。
 しかし、国連はそうなっても仕方のない構造と言える。もともと国連は第2次大戦の戦勝国クラブで、戦敗国の日本もドイツも埒外にあった。だから最初から普遍性には欠けている。ドイツや日本はじめあらゆる国が加盟するようになり、次第に普遍性が出てきたが、成立以来の根本的な欠陥は改善されていない。
 歴史的にも、国連は大規模な戦争を回避することはできなかった。特に冷戦時代には、米ソが対立する安保問題については、どちらかが拒否権を行使したため、安保理は全くと言っていいほど機能しなかった。例外的に安保理が機能したのは朝鮮戦争と湾岸戦争だけで、これらは例外中の例外である。朝鮮戦争では、たまたまソ連が欠席していたので安保理で2回、決議できた。しかし、それ以降はソ連が出席、「ニエット」を連発した。
 湾岸戦争の時はソ連が崩壊寸前で賛成せざるを得なかった。そうなると中国も反対できず、安保理での決議が成立した。しかし、戦ったのは米軍が主力で、ソ連は反対しなかっただけだ。それゆえ、これらは前例にならない。
 国連はもともと戦争の発生を阻止する機構ではなかった。日本は政治家もジャーナリストや学者も国連の理想だけを追い続け、構造上の欠陥や能力の欠如に目を瞑っているのが問題だ。戦争を巡る米英と仏独の対立は出るべくして出たものといえる。
 ドイツが反対したのは、伝統的な平和主義の影響が大きい。例えば80年代初め、社会民主党の首相だったヘルムート・シュミットは、ソ連が配備したSS20に対し最初に警鐘を鳴らした。ところが、カーター元米大統領がそれに応じ、対抗ミサイルをドイツに配備する時、社民党自体が反対。そのため自由民主党が分裂し、保守連立政権ができ初めて配備できた。このように、ドイツは時々鼻持ちならない平和主義に陥る。
 今回シュレーダー首相は選挙に勝つため、平和主義に乗り戦争反対を唱えた。選挙に勝ち軌道修正できなくなっただけだ。しかしコソボ紛争では、国連安保理の決議なしに、人道的理由でドイツ軍も参加し空爆。ドイツ国民にも一貫性がない。当時、緑の党も社民党も賛成し、セルビアを攻撃した。
 フランスが反対したのは、サダム政権との利権があまりにも大きかったからだ。武器を売りつけたロシアは、最大の債権国だった。そうした利害関係が絡んだ「反対」なので、当然の帰結として安保理では決議ができなかった。
 しかし、決議ができなかったのはコソボ紛争時と同じ。日本のジャーナリズムは朝日新聞を筆頭に、「米英は国連を無視」と非難するが、無視したわけではなく、ぎりぎりの努力をした上での開戦である。

イラク戦争は違法か?

 世界の大多数の国際法学者は米英によるイラク戦争は国際法違法だと大合唱しているが、違法と言えるかどうか疑問だ。まずサダム・フセインがクウェートを侵略した時の国連決議678は武力行使を容認。その結果、湾岸戦争が起こりイラクが降伏。その停戦決議が678で、停戦条件として、大量破壊兵器を作らず、査察受け入れが定められた。それをイラクは12年間にわたり違反し続けた。
 また、これまでイラク空軍機が飛行禁止区域に侵入する度に米英軍は空爆しており、それには誰も文句を言わず、非難する国連決議もなかった。つまり、間接的にイラクに対する武力行使を容認していたことになる。
 最後に、2002年11月に安保理は1441決議で、これが最後の機会だと査察受け入れを勧告したが、イラクは小出しに応じただけ。それは、米英軍が周辺に兵力を配備したからであり、軍事圧力がないと応じなかったであろう。つまり、米英は既定の方針でイラク攻撃をしたといえる。局地的な空爆ではなく、大規模な攻撃になったという質的な違いはあるが。
 国際法には二つの解釈がある。一つは学者が論理的に解釈する学理解釈で、もう一つは解釈する権限のある者による権威的な解釈(有権解釈)だ。最終的に通るのは後者で、その権威の代表が国連安保理。その安保理は米英が違反したとは言っていない。むしろ米英が、構造的欠陥のある国連を機能させ続けていることに留意すべきであろう。(協力=世界思想、文責・編集部)

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